
「困った」ってばっかり言ってる。できることはいっぱいあるし、できないことは受け入れるしかないのに。自分で未来のことを考えすぎて混乱しているみたいだ。困難を自ら探しに行っている。その困難探しに付き合っていたらこっちも疲れる。迷探偵ぶりを発揮する前に、まずは頭の整理をして一つだけ行動してみよう。見た目は大人、頭脳は子供とならないように。
「困った」ってばっかり言ってる。できることはいっぱいあるし、できないことは受け入れるしかないのに。自分で未来のことを考えすぎて混乱しているみたいだ。困難を自ら探しに行っている。その困難探しに付き合っていたらこっちも疲れる。迷探偵ぶりを発揮する前に、まずは頭の整理をして一つだけ行動してみよう。見た目は大人、頭脳は子供とならないように。
「普通なら〜するはずじゃん」、「普通に考えておかしいよね」と自分が考える普通を他人に押し付けて、意のままにしようとする人がいる。そして自らの意思に対しても普通というものに囚われている人が多い。普通の人、普通の学校、普通の会社、普通の家庭って何?多数派のこと?平均的?僕たちは一人も普通ではなく、みんな違う。普通という考えを自分から遠ざけてみる。
本当の自分とは嘘が無く、飾らなく、ありのままでいる自分である。いつしか人は他人に愛されるために、本当の自分を隠して他人と付き合うようになった。そして疲れてしまった挙句に、他人を疑い、攻撃して、愛という名の束縛、コントロールを行うようになってしまった。本当の自分を愛せない他人には愛される必要なんてない。弱点をさらけ出せない自分を認めてもらう必要なんてない。本当の自分でいるためだけに僕たちは生きている。
エネルギーと時間をかけて、自分を痛めつけてまでして努力なんてしなくていい。エネルギーと時間を忘れるくらい楽しめる方がいい。誰かに認めてもらうために努力なんてしなくていい。自分が幸せだと思えるために楽しんだ方がいい。自分に向いていると思えることはいくらでも頑張れるし、それを楽しめる。自分に向いてないことを自分で認められないから努力していませんか?
安住の地を求めて人は彷徨う。僕だって受験に勝って医学部に入りさえすれば、国試に受かって医師になりさえすれば、好きなあの娘と結婚さえすれば、フルマラソンを完走さえすれば、40代になってみんなが院長だって認めさえすれば、子供が独り立ちさえすれば…などなど求めてきた。目標さえクリアできればそこには安住の地が広がっていると信じ、頑張ってきた。みんな大なり小なり違うけど、同じように頑張ってきたに違いない。しかしそうでは無かった。安住の地は、〜さえすればでは見つからないのだ。だって人生の課題は死ぬまで続いていくから。次の〜さえすればがまた見つかってくる。だからいつまで経っても安住の地には辿り着けなかったんだ。いつも今が安住の地だって思うべきだったんだ。安住の地は自分の心だけが作るところなのだ。