
信じられない言葉を言われることがあった。どうしてそんなことを言うのか?って何10時間も考えた。そう言った他人の気持ちになって、言うに至った理由を考えた。そう言わせた自分のことを考えた。そこで他人を信じられれば自分が信じてもらえる。それを信頼と呼ぶのだろう。他人を信じられなければ、自分も信じてもらえないから。
信じられない言葉を言われることがあった。どうしてそんなことを言うのか?って何10時間も考えた。そう言った他人の気持ちになって、言うに至った理由を考えた。そう言わせた自分のことを考えた。そこで他人を信じられれば自分が信じてもらえる。それを信頼と呼ぶのだろう。他人を信じられなければ、自分も信じてもらえないから。
ああしなさい、こうしなさいの過干渉を子供に対してしている親。またああして、こうしての過干渉をしあう夫婦。酷い場合は、美味しいでしょ!楽しいでしょ!や、嫌だと思わないのか!と感じ方まで押しつける。過干渉しておいて、それを愛だと勘違いしている。人として悪いことは教えるべきだし、アドバイスは欠かせないものである。度を越して子供や配偶者の行動や感情をコントロールしたがってはいけない。寄り添って受け入れるのが愛である。
人は一人では生きられない。家族、友人、同僚、お互いが役に立って助け合い、そして自分を支えてくれる。しかし一人でいる時間は自分自身を成長させてくれるはず。考えたり、ボーっとしたり、運動したりしながら自分を見つめる。今を肯定して、自分を愛して、過去を反省して、未来を妄想する時間は誰にだって必要。ソロキャンだって、一人旅だって寂しくない。一人を楽しめない人には、誰か一緒にいたって楽しめない。パートナーや友人、子供がいないのはちっとも惨めではない。自分を愛せないのが惨めなんだ。
「困った」ってばっかり言ってる。できることはいっぱいあるし、できないことは受け入れるしかないのに。自分で未来のことを考えすぎて混乱しているみたいだ。困難を自ら探しに行っている。その困難探しに付き合っていたらこっちも疲れる。迷探偵ぶりを発揮する前に、まずは頭の整理をして一つだけ行動してみよう。見た目は大人、頭脳は子供とならないように。
「普通なら〜するはずじゃん」、「普通に考えておかしいよね」と自分が考える普通を他人に押し付けて、意のままにしようとする人がいる。そして自らの意思に対しても普通というものに囚われている人が多い。普通の人、普通の学校、普通の会社、普通の家庭って何?多数派のこと?平均的?僕たちは一人も普通ではなく、みんな違う。普通という考えを自分から遠ざけてみる。