
人は他人に好かれようとして自分を偽る。大したことないことを盛って自慢話をしたり、知らないことを知ってる振りをしたり、武勇伝を何度も繰り返し話したりしがちになる。だけど周りにはそれが分かるから、自分を大きく美しく見せようとする人に対して、スルーするか嫌気を感じてむしろ嫌いにすらなる。好かれようとするほど嫌われるのだったら、そのままのあなたでいい。そのままこそがかけがえのないことだもの。
人は他人に好かれようとして自分を偽る。大したことないことを盛って自慢話をしたり、知らないことを知ってる振りをしたり、武勇伝を何度も繰り返し話したりしがちになる。だけど周りにはそれが分かるから、自分を大きく美しく見せようとする人に対して、スルーするか嫌気を感じてむしろ嫌いにすらなる。好かれようとするほど嫌われるのだったら、そのままのあなたでいい。そのままこそがかけがえのないことだもの。
流行りのブランド品で身を固め、好きではない仕事を肩書きのために勤めて、SNSに何でも綺麗にアップして、子供の適性を考えずにお受験させたりする。恐らくその人たちは、自分にないものを持っている人をうらやんでいる。そして手にしたそれを見せびらかすために生きてしまう。うらやましいと言ってみてもいいが、うらやましいと思い続けてもしょうがない。僕にないものはいっぱいあるし、僕にあるものもいっぱいあるから。
何が一番怖いのか?病気、天災、幽霊…って意見はあるが、生きてる人間が一番怖いとよく聞く。生きてる人間のどんなところが怖いのかって考えた。僕は他人の怒り、憎しみ、恨みだろうか。また、視点を変えてみると他人の拒否も怖いものに当たる。そこで人は怖がると仮面をつけて、本当の自分を隠してしまうのだ。素顔の自分はきっと受け入れてくれないだろうって。他人には安易に近づかない方がいい、近づくときは仮面をつけてそろりそろりと。でもそんなとき、本当の顔を出した方が受け入れてくれることに気づくべきだ。仮面をつけた人は、受け入れにくいことに気づいた。
誰でも褒められると嬉しい。でも褒められると嬉しい傾向が強すぎると注意した方がいい。何故ならば、そういう人は貶されると悲しい傾向が強い。感情の上下幅が広がり疲れる。自分の感情が他人の評価に依存する。苦しみが自分と関係ないところで増える。褒め上手のペテン師に騙されやすい。褒められても舞い上がっている自分に気がついたら平然とした方がいい。
自分のことをダメな人間だって思いこむ人がいる。ダメな人間なんて誰一人いないし、みんながそれぞれいいところを持っているはずなのに。僕たちは子供のころから、親や先生の尺度、もっといえば他人の尺度で評価をされ続けた結果、そのような心の習慣が身についたのだろう。自分がいいと思ったことを否定されて、みんなと同じことができないと怒られた。親の言う通りに行動して、常に多数派に属していなければ生きていけないと思ってしまった結果だろう。もしかしたらダメな人だと言われたこともあったかもしれない。ダメな人なんて言ったら絶対にダメなのに。