根拠なき自信
2022年10月7日
大丈夫、上手くいく、何来るないさ、負ける気がしない、神さまがついてる、とばかり言ってた学生時代の友人を「お前は根拠なき自信の男だなぁ」とからかっていた。しかし社会に出て、仕事をして、子供ができて、院長になって、いろんな失敗をしてくるとあいつの根拠なき自信こそがかけがえのない魂だと気付いた。無茶や無鉄砲とは違う。不安で踏み出せない一歩が彼には踏み出せる。自信があるから他人を愛せる。他人を責めない。それこそが根拠なき自信がある証拠。ただ根拠についてはあった気がする。彼が彼自身であったことだ。自分が自分自身であれば、それが根拠のない自信に見えるのだ。根拠なき自信が人を強くする。
過去があるから
2022年10月5日
起こってしまった過去にどれくらい囚われているのかは、人がどれくらい幸せかの逆バロメーターである。別れた恋人の歌が世の中に溢れているように、我々はどうしても取り返せないことに執着し、後悔している。後悔がエネルギーを奪う。しかしそのエネルギーを今に向けられるかどうかで、その人の生きる力に反映される。過去があるから今がある、過去の事実は変えられないが解釈は変えられる、過去の楽しい思い出を味わって楽しむ、そんな生き方をしたいものである。
医学生の頃
2022年10月3日
医学生の頃、沢山の病気を全く新しい脳で学習した。多くの症状が自分に当てはまる気がして、一抹の不安を覚える連続の日々であった。その不安を友人に打ち明けると、同じ不安を感じていると聞き、少し安心できた。またその心理状態をヒポクラテス症候群ということを知ったら、疾患を学んでも不安を感じなくなったことを今日思い出した。
さまざまな症状や体調の変化をみんなが感じる。原因をスマホでググったりする。自分で調べ過ぎたら余計に不安になったりもする。しかし症状は何の疾患からくると分かれば安心する。一方で医師側は「診断つけてもやることは変わらない」と疾患診断を怠けがちである。正直なところ僕も心の中ではそう思わざるを得ないこともある。しかし診断がつけば治療や予後も分かるし、何よりも不安が取れる。患者さんの不安が取れれば、医師としての本分を全うできる。だから診断をしっかりつけられる医師でありたい。やることは変わらないとは言わない医師でもありたい。
筋肉痛
2022年9月29日
数年前に走り出してから、一年中どこかしらの筋肉痛がある。筋肉痛から痛みが強くなり、走れなくなったこともある。でも痛くなったところが、少しずつ強くなっている。筋肉が大きくなっている。筋肉痛からの回復も少しだけ早くなった気がする。
僕たちは幼い頃から痛い思いをしてきた。身体はもちろん、心の傷も痛む。でもそれに立ち向かってきたから、少しずつ成長できたと信じている。痛みの後には必ず成長がある。痛みのない成長はないと、今日も信じて空を見上げる。
大人になる
2022年9月27日
子供は親を選べない。親の選択にも着いていくしかない。小学校、住むところ、習い事、学童保育、旅行先などまず選べない。親の誘導について行くしかないだろう。でも大人になったら選べる。就職先、結婚相手、住所、趣味などある程度の制約はあるのが前提とはなるが。だけど自分が選んだものに悪口を言う人がいる。会社が嫌いだと言って何年も給料をもらっていたり、配偶者の愚痴を言いながら年寄りになる人がいる。違う。自分の選択に責任を持ち、努力する。それこそがきっと大人なのだろう。