
毎日、毎時選択を続けている人生の中で、選択しなかった側を考えてしまう。「あっちにすれば良かった」って。でも「あっち」はもう選んでないから、良かったかどうかは絶対分からない。既に長時間経ってもまだそう言っている人がいる。自分の選択に責任を持つ、そして選択をし直すことも自分の選択だと思うようにする。他人の意見を聞いて選択しても、結果がどうあっても、自分の選択に誇りを持とう。誇りが持てなければ、選択なんてしなくていい。ほこりを落とすのは洗濯の役目である。
毎日、毎時選択を続けている人生の中で、選択しなかった側を考えてしまう。「あっちにすれば良かった」って。でも「あっち」はもう選んでないから、良かったかどうかは絶対分からない。既に長時間経ってもまだそう言っている人がいる。自分の選択に責任を持つ、そして選択をし直すことも自分の選択だと思うようにする。他人の意見を聞いて選択しても、結果がどうあっても、自分の選択に誇りを持とう。誇りが持てなければ、選択なんてしなくていい。ほこりを落とすのは洗濯の役目である。
長所のない人はいない。しかし自分にないものを求める人は、自分にある長所を見れなくなりやすい。優しい人は強さを求めて、いつしか優しさを忘れる。行動的な人は慎重さを求めて、いつしか行動できずにいる。明るい人は冷静さを求めて、いつしか陰キャになっている。自分の長所は何か?をいつも大切に意識して生きていけばいい。自分にある長所は、いつでもあなたを助けてくれる。
今年も始まりました。どうぞ本年も宜しくお願いします。
一年振り返ってみるといろいろあった。出来なかったこと、止められなかったこと、思わぬ不運、突然の別れ、病気などネガティブなことが多く出てくる。悲しみや不甲斐なさも出てくる。すべて忘れた方が楽になれる。一方で今の現状をみると、幸せなことがいっぱい見つかる。来年の楽しみも多くある。そう考えると人間は視点の変え方でいくらでも幸せになれる気がする。これからの人生も予期せぬ出来事も多く起こるだろうし、悲しみや苦しみだって多くあるだろう。しかし大事なことは、そのネガティブな感情に囚われても視点を変えて前を向くこと。泣いたって、嘆いたっていいから、投げ出さずに歩くこと。与えられた人生に感謝すること。
「何でお前はできないんだ!」、「何でこんな結果になったんだ!」と他人を責める。配偶者や子供、恋人や部下など。心理的暴力を振るう人が多い。また「何で自分だけがこんな目に合うんだ…」、「自分はダメだ…」と自分も責める。誰かを責めることによって一時的に形をつければホッとするからかもしれない。でも物事は起こるべきして起こる。誰かだけが悪いということはあり得ない。人々、タイミング、環境、体調、遺伝子など。沢山の因子が絡み合うことだ。またその人が行動した理由も必ずある。敢えて誰が悪いかと言うなら、神さまや仏さまくらい。忘れてはいけない、誰かを責めることは幸せから遠ざかることを。
誰でもイライラして怒られる他人が苦手だ。怒りながら自分をひたすら正当化して、相手の至らないところを責め続ける。「普通〜するよね」とか「酷いこと言ってる?」などなど。怒り過ぎたと気づいてくると「あなたのためを思って」とか「こんなこと言ってくれるのは俺だけだ」と言いながら、相手の感謝や謝罪を要求しつつ、気持ちをおさめようとする。怒るのは勝手だが、怒られるのは嫌だし疲れる。怒られると傷つくから、怒られないように逃げたいところ。心のバリアを張って、一歩下がって、近づかないようにする。イライラさせたなんて思わなくていい。イライラするのは絶対にイライラした本人の責任だと忘れないように。