
肥満、運動不足、過多飲酒、喫煙、不規則な食事、不眠などにより引き起こされるという生活習慣病。一方で攻撃性、心配性、不安性、易怒性、依存性などの性格や人間性も疾病を引き起こしやすいと考える。言うなれば性格習慣病と言えそうだ。自分の性格が免疫系や血管系に作用し、感染症や心臓病を引き起こす。またその性格が前述の生活習慣に導き易いとも考える。楽観主義の人や心の優しい人、前向きな人は免疫力を上げ、血管系にも優しく、疾病を惹起しにくく、なったとしても回復力がある。性格習慣病は教科書に載って欲しいかな。
肥満、運動不足、過多飲酒、喫煙、不規則な食事、不眠などにより引き起こされるという生活習慣病。一方で攻撃性、心配性、不安性、易怒性、依存性などの性格や人間性も疾病を引き起こしやすいと考える。言うなれば性格習慣病と言えそうだ。自分の性格が免疫系や血管系に作用し、感染症や心臓病を引き起こす。またその性格が前述の生活習慣に導き易いとも考える。楽観主義の人や心の優しい人、前向きな人は免疫力を上げ、血管系にも優しく、疾病を惹起しにくく、なったとしても回復力がある。性格習慣病は教科書に載って欲しいかな。
育って、仕事をして、ずっと住んでいるこの町で先日マラソン大会が開かれた。更衣とストレッチは、剣道とバスケの試合をしたことのある浦和駒場体育館。スタートとゴールは、持久走大会や相撲大会に出場し、レッズを応援した駒場競技場。そしてコースの463号線は、子供の頃からずっと通ってきた道だ。コース上には、父に連れて行ってもらい、息子を連れて行った市民プール。遠出した帰りにいつも疲れを取ってくれた家系ラーメン屋。春には見応えのあるさくら並木が広がる新見沼大橋。そして病院の前から続く産業道路も走れた。思い出ばかりのコースで、走りながら自然と涙がこぼれた。さいたまで育ち、今生きていることに力をもらい、僅かに自己ベストを更新してゴールができた。
日々生活しているとさまざまな想定外のことが起こる。その度に自分の不運や不遇、もっと言えば自分の至らなさや能力を嘆いていればいるほどエネルギーを奪われ、生きる力を失くす。また起きた事象を他人のせいにして、自分を一時的に楽にしがちである。だいたいの物事は起こるべくして起こり、我々には如何ともし難いことがほとんどである。他人のせいにしている場合でもない。そこで「そう来るか!」と想定外を受け入れる。流れとして受け止める。それが出来れば「どうしたものか?」と次の手を考えられる。人生の流れを前に進められる。
「そんなの気持ちの問題だよ」ってみんなは言うけど、それだけが問題だとは分かってはいる。幼い頃から心配性だった。始めての海外旅行は飛行機の墜落だけが心配で、無事着陸したことが一番嬉しかった。テストはどれだけ勉強しても解答に自信が持てず、テスト後はまず自己採点がルーティンだった。医師になってからは病院では安心していても、帰ったら病院にいる患者さんが心配で夜中に何度も起きた。飛行機もテストももう大丈夫だが、患者さんの心配を帰宅後にするのはもう諦めた。しかし心配からの安心ほど自分を元気にしてきたことはないだろう。
病気になって心配するのは何故だろうか?自分が死ぬことだろうか?死んで残る家族のことだろうか?これから病状の進行による痛みや苦しさだろうか?病気の苦しみは心の苦しみだと考えている。心の苦しみも取れる医師でいたい。気持ちの問題を解決できる医師でありたい。体の苦しみから来る心の苦しみを、心身ともに治す、ケアができる医師こそが本物の医師だと考えている。
受験シーズンである。僕は大学には現役で合格できた。いざ入学してみると周りには、浪人を経験している同級生や先輩が多かった。現役で絶対合格したいと思い、高3の後半をほとんど高校生活を省き受験勉強に充てた僕は、浪人合格の仲間たちのどこか余裕のある人間性に惹かれたのを思い出した。
人生は遠回りの連続かもしれない。人は効率よく、失敗せずに目的地に辿り着こうとする。それは当然のことである。しかし問題は失敗や困難にぶつかったときである。人生において、受験不合格はもちろん、病気や怪我、家族との不和、仕事の失敗、大切な人との別れ、全てありうるのだ。遠回りせずには、人生という道は進めないのだ。きっと人は遠回りしながら、自省し、困難を乗り越えて、前に進むから成長するのだろう。遠回りした方が、きっと周りの景色だってたくさん見られるだろう。また目的地へ着いた喜びも、増やしてくれるに違いない。もしかしたら遠回りした過程で目的地が変わったり、辿り着けないこともあるかもしれない。しかしそれが人を強くし、人生そのものに喜びや意味を与えてくれる。遠回りこそが人生である。