
一緒にいる人が元気がないことがある。何か心配があるのか、疲れているのか、我慢しているのか、ショックなことがあったのか、別れたあの人を思い出しているのか、などなど。一緒にいる人は「大丈夫?何でも言って!」と言う。そんなとき元気がない相手に不機嫌になる人すらいる。元気のない方は余計に元気がなくなる。そっとしておいて欲しいときもある。ほっとくのではなく、そっとしてあげるのが愛である。
一緒にいる人が元気がないことがある。何か心配があるのか、疲れているのか、我慢しているのか、ショックなことがあったのか、別れたあの人を思い出しているのか、などなど。一緒にいる人は「大丈夫?何でも言って!」と言う。そんなとき元気がない相手に不機嫌になる人すらいる。元気のない方は余計に元気がなくなる。そっとしておいて欲しいときもある。ほっとくのではなく、そっとしてあげるのが愛である。
いやだいやだ。殺人、強盗、死亡、逮捕、離婚、入院、破局などしかネットニュースには並んでないのではないか?他人の不幸話がみんな好きなのか?他人の不幸を見て自分の一時的な癒しにしてしまう人は必ずいる。そんな人はきっと自分が満たされてないし、ニュースだけではなく日常でも他人の不幸を願っているかもしれない。そんな人が周りにいたら、自分はハッピーにはなれない。他人の幸せを自分の幸せに感じられる人でいたい。それには自分がまず満たされること。自分がかけがえのない人だと思えること。いやだいやだをしないこと。
誰かに喜んでもらうことは幸せの一つだ。子供を喜ばせようとして親は頑張ったり、パートナーを喜ばせようと努力する。しかしながら人は全員違うから、喜ばせようとしても喜ばないこともある。相手が喜ばないときに不機嫌になり、相手を攻撃する人がいる。その人は相手のことを支配したいだけで、子供やパートナーに自分の理想を押し付けている。お互い喜ぶどころか悲しい思いにすらなる。喜ばせようとして上手くいかなかったとき、本当の愛が分かる。喜んでない相手を見て不機嫌になった人は、相手を喜ばせようとした自分を喜べばいい。喜ばせようとさせてくれただけで感謝すればいい。
「幸せになりたい」とか「幸せにする」って言うけど、幸せって未来には絶対感じられるってものではない。また「あの頃は幸せだった」って過去に感じたかもしれないけど、幸せは今この瞬間にしか感じられないものだと思う。日々何回も感じる幸せの集合体こそが、多くの人が言う幸せという状態だろう。だからあの頃を振り返って、今幸せだと感じているに過ぎない。そう言う今この瞬間を幸せと感じるには、過去にいろいろあったから感じられるものだろう。取り返せない、打ち消せない過去を全て受け入れて、いい経験だったと笑えるようになればいい。人生のイベントなんて起こるべきして起こり、自分だけが悪いなんてことは絶対にあり得ない。過去はもちろん、今も未来も全てそうだ。だから今この瞬間を大切にしている人が、幸せを感じられるのだ。
子供や配偶者、恋人や友人に「私とあなたは一心同体よね」と言う。あり得ないです。価値観、考え方、感情はそれぞれ違うことを理解していない。相手をコントロールしたいから言う言葉。自分と同じ人は絶対いないことが理解できないと苦しくなる。相手を束縛し、言うことを聞かないと言葉や身体の暴力を振るうようになる。勝手に一心同体の対象と見なすのであろう。自分とは違う相手を尊重することで、一心同体に近づけるかもしれないけど。