
自分が好きだったり、大切だと思う誰かのために頑張って何かをやった。でもありがとうとも言われず、気づかれもせずに、無下にされたとキレる。見返りを求めてキレる。キレるくらいだったらやらない方がいい。頑張らなくていい。自分がやらせてもらっていることに感謝が出たり、好きだと思う気持ちだけで行動したいこと以外にやらない方がいい。頑張り過ぎるからキレやすいのだ。
自分が好きだったり、大切だと思う誰かのために頑張って何かをやった。でもありがとうとも言われず、気づかれもせずに、無下にされたとキレる。見返りを求めてキレる。キレるくらいだったらやらない方がいい。頑張らなくていい。自分がやらせてもらっていることに感謝が出たり、好きだと思う気持ちだけで行動したいこと以外にやらない方がいい。頑張り過ぎるからキレやすいのだ。
サッカーでボールを取られたら取り戻したい。仕事でミスをしたら取り戻したい。夏休みの宿題に追われたら遊び過ぎた分を取り戻したい。大好きな人に裏切られたら、好き同士だった日々を取り戻したい。われわれは過ぎ去った過去を取り戻そうと焦る。そして少しは頑張ろうとするものの、結局は戻らないから何だか虚しくもなる。生きているその瞬間瞬間は常に流れていき、あっという間に過去になる。取り戻そうとしない方がいい。焦って上手くいかないことも多いから。今の自分があるのは過去の自分がいたから。今の自分をありのまま肯定したい。後悔は一時的にするかもしれないが、反省して強制終了。取り戻そうとしない方が幸せになれるから。
自分のタイミングで一日が過ごせたらどんなにいいだろう、と若い頃思っていた。誰からも急かされることなく、誰も待つことがなく、自分だけのペースで。しかし万事において、タイミングは自分だけではどうしようもない。周りには必ず人がいるし、社会があるし、天気だってある。タイミングとは全てのことが合わさったときに、起こった事象を受け止めるために作られた言葉ではないか?そう理解したら、少し気持ちがに楽になれる。タイミングは図るものではなく、与えられるものだと。だからいつでも起こったことは、ベストタイミングである。
ハイテンションな人というか状態な人は、他人にもその状態を押し付ける。「みんな乗って行こうぜ!」くらいならいいが、「どうして楽しくないの!」とか「本当に暗いヤツだ!」とまで言われる。誰だってテンションが上がっているときもあれば落ちているときもある。ハイテンションなときは視野が狭く状況判断力が落ちるのか?自分の気持ちいい状態を維持するために周りを巻き込む。結局は周りが乗り切れないとそれにイライラしたり、失言をすることも多い。だから仕舞いにはそのテンションも落ちてゆく。一方でローテンションなときは思考が停止しやすい。他人に対して被害妄想にもなりやすく、他人も暗い人には寄って来ない。やはりニュートラルがいい。落ち着いて物事の判断ができ、自分の能力が発揮できるのだ。ニュートラルな状態に自分を保つよう努力するべきと考える。
汗と涙を流した学生時代の親友、離れた土地で夢に向かっている我が子、いつでも心の拠り所の年老いた両親などは昔から姿や距離は変わったが、今でも続く人間関係に疑いはない。一方で、あのときは永遠を誓い合った元恋人、退職せざるを得なかった元パワハラ上司、モラハラをされた元配偶者などは、人間関係が切れたと自分では思っているかもしれない。そしてその人たちとの関係を時々思い出しては、許せない気持ちになったり、後悔して若気の至りと気持ちを落ち着かせたりもする。
生まれてから死ぬまでに、僕たちは実に多くの人たちとさまざまな人間関係を築く。そのなかには必ず、生き別れや死別がある。しかしその人たちから、さらにその人との人間関係で学んだことが、僕たちの人生では生き続けていることは、忘れてはいけない事実である。自分が現在誇りに思っている関係か、後悔している関係かは関係ないのである。離婚しようが、絶交しようが、転職しようが、あくまで見た目の形が変わるだけで、自分とは人間関係があると考えた方が楽になれると考える。自分の人生には無くてはならない人間関係だと考える。そのときは、その関係になるべくしてなったと考える。例え距離や関係性が変わっても、全ての人との今の自分は関係があると考えてみる。そう考えられれば、幸せな人生につながる気がしてならない。