
世の中から「〜べき」を失くしたい。「親なら〜するべき」、「男なら〜すべき」ってみんなは言う。強制的に感じる。自分でも「あのとき〜するべきだった」、「やるべきことをやる」と自分に言い聞かせているうちは疲れる。他人には「〜した方がいい」とか「〜して欲しい」と伝えるのが良く、自分には「〜したい」、「〜しよう」と思うと楽になる。まずは「べき」に掴まられないように気をつける。
世の中から「〜べき」を失くしたい。「親なら〜するべき」、「男なら〜すべき」ってみんなは言う。強制的に感じる。自分でも「あのとき〜するべきだった」、「やるべきことをやる」と自分に言い聞かせているうちは疲れる。他人には「〜した方がいい」とか「〜して欲しい」と伝えるのが良く、自分には「〜したい」、「〜しよう」と思うと楽になる。まずは「べき」に掴まられないように気をつける。
人に喜ばれることは幸せなこと。僕の人生そのものかもしれない。喜ぶことを考えて準備しているときは楽しい。そして自分が自然態でいるときに喜んでもらうことが嬉しい。喜ばれることを期待し、あまり喜ばれなかったら少し悲しい。だったら喜ばそうとした自分が喜べばいい。
負の感情で心が満たされると、どうして自分はこうなったか?と自問自答する。行き着く先は幼少期の親との関わりになることが多い。何十年経っても不思議と言われた言葉や場面まで思い出す。子供は親が何故そう考えて子供に言ったのかとそのときは考えられない。でもその子が大人になって当時の親のことを思うと、例え傷ついた言葉だったとしても何を伝えたかったかが分かる。そして親も一人の人間だったってことも分かる。それに気づけば負の感情もなくなる。
悔しいと思って相手を見返すために行動してしまったり、逆にそのために行動しないとまた辛くなる。悔しいと思う相手に囚われる。悔しかったら自分が自分の成長のための行動を起こす。気づいたら悔しいと思わなくなっている自分に気がつく。なるべく関係ない行動がいい。
今日まで母校の5年生が実習に5日間来てくれた。自分が先輩医師として何かを教えたり、伝えたりすることに思いを込めた。
人はいつだって自分で感じることは、他人の伝えたい思いとは違うかも知れない。でも地域医療、家庭医療、そして僕たちの有隣会の医療が心の片隅に少しでも残って、いつか何年先にでもそれに芽が出て、花を咲かせて、実がなったらと思うと幸せで、また力になった。