
昨日映画を見ました。さまざまな感情が入道雲のようで、思いっきり泣いてしまいました。一人一人のかけがえのない人生の映画を大切に思い、その自分を感じた時間でした。マスクを濡らした主人公を連れて帰ってきました。
昨日映画を見ました。さまざまな感情が入道雲のようで、思いっきり泣いてしまいました。一人一人のかけがえのない人生の映画を大切に思い、その自分を感じた時間でした。マスクを濡らした主人公を連れて帰ってきました。
感謝や見返りを求めてサポートすることは何も生まない。エゴの満足に過ぎない。自分に妥協して、相手の機嫌を取るためだったら何もしない方がいい。サポートして不機嫌になる人さえこの世に多い。いわゆる恩着せがましい人。自分のために、相手のために両方なることしかサポートしなくていい。喜ばれるためにするのではない。サポートは一緒に喜ぶためにするのだ。
「聞いてくれる?あの人って酷いの」、「あいつだけは死んでも許さない」って言う人がいます。ちょっと聞くと酷く傷つけられることを誰かにされて、それを被害的に話しています。そして被害を受けたと言う人が憎しみを持った時点で、批判や悪口、攻撃を始めます。この時点で加害者と被害者が入れ替わります。これを人はずっと繰り返してしまいます。
誰も加害者になりたくない。相手を傷つけたくない。もし傷つけたら自分も傷つく。加害者と被害者は法律では裁くことができますが、心ではずっと立場を入れ替えながら悪循環を繰り返していきます。だったら被害者であることは苦しいから手放すこと、相手を攻撃することを手放すことが救われる道です。加害者でも被害者でもない「無害者」は楽です。
感じ方はそれぞれ違う。夫婦であろうが、親子であろうが、兄弟であろうが、自分が好きなもの、苦手なものはだいたい違う。お互い合わせていった過程で好きになるかも知れないから、自分の好きな人が好きなものは挑戦してみてもいい。しかし自分が遊びに連れていって「楽しいでしょ」、自分が作って「美味しいでしょ」とか、ましてや自分で導いて「幸せでしょ」と相手の感じ方を強要することはお互いが辛くなる。楽しいか美味しいかは自分で感じる。自分が幸せだって感じる。「あなたのためを思って」は聞かなくても感じる。
昨日は皆既月食でしたが生憎の曇天に見舞われて幻となってしまいました。しかしその後に眺めたおぼろ月は美しく、また大好きな月の思い出の一つとなりました。
僕は月が好きです。夜空に浮かぶ月を見たらいつも静かで頭の中を綺麗にしてくれます。月は太陽と地球の位置関係にて満ち欠けを繰り返します。月は丸ですが影になった部をよく見たら影の部分が綺麗で神秘的です。僕たち人も光った明るいところだけではなく、見えない影の部分も美しく感じられたらもっと力になる。そんな気もちを持って今日も診療にあたります。