院長ブログ

無害者

2021年5月30日

 「聞いてくれる?あの人って酷いの」、「あいつだけは死んでも許さない」って言う人がいます。ちょっと聞くと酷く傷つけられることを誰かにされて、それを被害的に話しています。そして被害を受けたと言う人が憎しみを持った時点で、批判や悪口、攻撃を始めます。この時点で加害者と被害者が入れ替わります。これを人はずっと繰り返してしまいます。

 誰も加害者になりたくない。相手を傷つけたくない。もし傷つけたら自分も傷つく。加害者と被害者は法律では裁くことができますが、心ではずっと立場を入れ替えながら悪循環を繰り返していきます。だったら被害者であることは苦しいから手放すこと、相手を攻撃することを手放すことが救われる道です。加害者でも被害者でもない「無害者」は楽です。


強要の教養

2021年5月28日

 感じ方はそれぞれ違う。夫婦であろうが、親子であろうが、兄弟であろうが、自分が好きなもの、苦手なものはだいたい違う。お互い合わせていった過程で好きになるかも知れないから、自分の好きな人が好きなものは挑戦してみてもいい。しかし自分が遊びに連れていって「楽しいでしょ」、自分が作って「美味しいでしょ」とか、ましてや自分で導いて「幸せでしょ」と相手の感じ方を強要することはお互いが辛くなる。楽しいか美味しいかは自分で感じる。自分が幸せだって感じる。「あなたのためを思って」は聞かなくても感じる。


月から思う

2021年5月27日

 昨日は皆既月食でしたが生憎の曇天に見舞われて幻となってしまいました。しかしその後に眺めたおぼろ月は美しく、また大好きな月の思い出の一つとなりました。

 僕は月が好きです。夜空に浮かぶ月を見たらいつも静かで頭の中を綺麗にしてくれます。月は太陽と地球の位置関係にて満ち欠けを繰り返します。月は丸ですが影になった部をよく見たら影の部分が綺麗で神秘的です。僕たち人も光った明るいところだけではなく、見えない影の部分も美しく感じられたらもっと力になる。そんな気もちを持って今日も診療にあたります。


家業

2021年5月26日

 僕はいわゆる世襲で今の仕事に就いた。世の中には自分の後継者として自分の子供を指名して自分が受け継いだ家業、あるいは創設者として継いで欲しいと子供のころからその教育をして育てることが多い。僕もその一人だ。しかし本当にその家業に向いているのか、それをやりたいのかは自分が成長していく過程で悩むし、その職業選択をしても更に自分で道を切り拓くべきだと思う。だから実際に家業を継いでからも壁にぶち当たるとそれを乗り越えることも自分の宿命だ。また誰でもやらされている仕事だと思うとどんな仕事でも辛い。特に家業はそう思いがちだ。

 仕事は生きるための糧を得て、いつか働けなくなる日が来るための年金や貯蓄をするためには必要。しかし自分が能動的にやらなければそこに成長はないし、やり甲斐もなく、最悪の場合には心身ともに病んでしまう。自分の立場を受け入れて、技を磨いて、それが社会のみんなの誰かの役に立つ。そこに誇りと幸せがなければ続かない。そう思ったら見上げた空が綺麗だった。


これでいいのだ

2021年5月24日

 人は誰でも誰からでも自分を肯定されたい。肯定されればそれが追い風となり、勇気を持って前へ進むことができる。一方で自分を批判されたら辛くなることもある。とはいえ、その批判を受け入れるかは自分次第。全て受け入れることなど必要はない。どちらにせよ自分で自分は絶対肯定。いつも少し反省をしたうえで、考え事の最後には自分に対して「これでいいのだ」って言ってみる。あの人のパパはいつもそう言ってくれていたから。



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