嫁の出戻り
2024年12月12日
責任転嫁。何か自分に不都合なことが起こると、それを他人のせいにすることは、その場を楽にする。子供が問題を抱えたら妻のせいにする夫、離婚したのは配偶者が悪いという人、自分の人生が上手く行かないのは親のせいなどなど。他人のせいにするのは、自分が行動できなかったからである。父親としての子供への関わり、夫婦としてのパートナーシップ、親がどうであれ自分の人生である。あらゆることは誰のせいでもなく、自分の生き方の捉え方である。つまり自分に必ず責任はある。責任転嫁していれば、後から苦しくなるのが人生である。今苦しんでいるのはあのときの責任転嫁のせいかもしれない。
地獄へ落ちるよ
2024年12月5日
「そんなことしたら地獄へ落ちるよ」と子供の頃クラスメートから言われた日は、7歳の僕の誕生日だったと思う。そんな僕が少し嘘をついたのか、小学校の決まりごとを破ったのかはよく憶えていないが、地獄についてはその後の人生で幾度となく想像してきた。炎に包まれ、食べ物や着る物もなく、人々は殺し合う。しかも鬼に支配されて、永遠に肉体労働が待っているのだ。そんな地獄には愛や感謝、優しさや親切は決して生まれないだろう。一方で現世においては恨みや憎しみ、妬みに囚われたり、孤独感や罪悪感で満たされたり、怒りに支配されかねない。だから自分が生きることに感謝さえ出来ずに愛を忘れて、優しさや親切を感じることができなくなる。まさにそんな現世ならば、いわば地獄である。地獄は人の心が生み出すものだと、やっと大人になって分かってきた。地獄へ落ちない生き方をしたいと、あの日からずっと思っている。
反省と自責
2024年11月29日
反省は大切だ。生きていく上で、次にどうしたらもっと上手く行くかを考えることで、たとえ困難や逆境に合っても前を向けるからだ。一方で自責、つまり上手く行かないのは自分が悪いからだ、と自分を責めていれば前を向く力は奪われる。また自責傾向の強い人は他責、つまり他人のせいにもするものだ。何かトラブルが起きたときに、誰かのせいにしても、結局生きるエネルギーを奪われるだけである。トラブルを自分の教師とできる人にこそ、成長に値すると信じている。
こだわりの怒り
2024年11月18日
怒ることは仕方がない。しかし怒り続けることは避けるべきだ。怒りは自他への攻撃となり、そして新たな怒りを呼ぶ。そして戦争は続く。何年経とうが「あいつは許せない!」と、いつまでも自分の怒りを正当化して、こだわりの怒りを抱き抱えている。そんな人生苦しい。自分の中に思い出して怒る人がいれば、それだけで身体も心も蝕む。怒りはなるべく早く手放すに限る。過去の傷も薬を塗って直してしまおう。過去の傷も引っ掻けば、直りかけのかさぶたが剥がれてまた血は流れ、新しい傷となる。怒りにこだわる必要は全くないことに、僕はこだわりたい。
何で?
2024年11月15日
何か自分に不都合なことが起こったときに「何で?」と思ってしまう。日常の忘れ物、家事の失敗、他人の簡単なミスにはもちろん、人生単位の病気、被災、愛する人の急死などもそうだ。そこに「何で?」と理由を求めることは苦しむことに繋がる。人生に起こる全てのことに、理由などないことが殆どであるからだ。起きたことを受け入れられるために、人は理由を求める。しかし起きた出来事を受け入れたとき、そして前に進めたときにその理由が初めて分かることがあると考える。その「何で?」が足枷になっていないだろうか?