道程
2025年5月31日
先日行われたハーフマラソン大会で自己ワースト記録を更新した。今年一月の大会で自己ベスト記録を出しただけに油断しただけなのか。まずは準備。前日の天気予報では雨のはずであったが当日は晴天となった。当日に天気予報の更新をしていなかった。できるだけ薄着、塩分を多く摂っておく、などやりようがあった。暑さにやられて脚を攣ったり、脱水や塩分不足で後半はほとんどまともに走れなかった。次に時間管理。交通渋滞で到着が遅くなり、スタート地点に余裕を持って立てなかった。レース後、今回は失敗だったと何度か後悔してしまった。
失敗は成功の母であるが、少なからず失敗をするのが人生である。また後悔は先に立たない。しかし大会から数日経った今は全く後悔もしていないし、次の大会が楽しみである。疲労や体調不良から人の気持ちはネガティブに傾くことが多い。だからこの数日、回復に努めた。美味しいものをたくさん食べてよく寝た。仕事も頑張れた。意識的には記録を出すために走っているが、よく考えたら走ることで日々が充実しているし、仕事も前向きに取り組めている。人は夢や目標に向かうことが大切で、現実にはそれが叶わないことが多いのもだ。しかし夢や目標を持ち、それを思い行動することに価値がある。それに向かう道程に成長がある。今日も走りに行ってくる。
原始的な解釈
2025年5月24日
われわれ人間は生物界において、圧倒的な進化を遂げた。医学の進歩により得られた生命延長も大きな一つの進化と言えよう。しかし肉体的にわれわれの能力は、進化してきたのであろうか?自力で空も飛べなければ、駆け足だってそこまで速くはなっていない。医学に代表される科学や技術といった文明的なものに比べれば、それは遠く及ばないであろう。だとすれば、われわれの肉体の神経伝達物質から得られる精神構造などは原始的、つまりより生物的に考えた方がリーズナブルである。人類がここまで進化する過程において、不安、緊張、心配は、敵から身を守るために無くてはならない生理現象。人は一人では生きられないことも原始時代からも明らかである。親から守られないと成長できない子供、繁殖のための異性愛、誰かと繋がっていたいという社会的欲求、集団生活であるからこその承認欲求…。われわれの悩みの源は、実は原始的な本能であり、それを複雑にしているのは悩んでいる人自身なのである。自分の苦しみを原始的に解釈することで救われることの邪魔をしているのも、進化した文明そのものではなかろうか。
それはあなたの憶測に過ぎません
2025年5月15日
「他人の気持ちを分かる人になりなさい」と僕たちは教わった。他人の行動や言葉からその人の気持ちを推測して自分の反応や行動を決めるようになった。また医師になり患者さんやご家族の気持ちを分かりたいと、日々考えている。しかし度が過ぎてはいけないとも思っている。人は誰でも他人の気持ちを考え過ぎると、自分のあの言葉が傷つけたのではないか?自分は嫌われているのではないか?とネガティブな思考に囚われやすくなる。いわゆる「決めつけ」である。誰だって他人の気持ちは考えているからこそ、他人の気持ちは他人の責任であることを忘れてしまう。だから他人の気持ちは眺めるだけでいいと考える。もしネガティブに考えている自分に気づいたら、「それはあなたの憶測に過ぎません」と自分に言い聞かせておく。
怒り
2025年5月9日
怒りは他人を傷つける。怒りに任せた言葉の暴力を受けた人には、心の傷が一生残りかねない。他人の人生を壊す可能性もある。また怒りは自分をも傷つける。自責の念から苦しむし、自分のエネルギーを奪う。怒っている人ほど疲れやすいのだ。そもそも怒りという感情は原始的な感情と考える。他者から身を守るために祖先たちには無くてはならないものだった。だから自分が疲れていたり、ピンチになると怒りやすい。逆に満たされていれば怒らない。何かに感謝しているときも怒らない。もし自分の怒りに気づいたときは自分に優しくするべきだ。そして自分に優しく自分を愛せる人は怒りにくいと考える。怒りに自分をコントロールされずに、怒りをコントロールできる人ほど幸せなのである。
変わらなきゃ
2025年5月2日
仕事、家族や恋人との関係などで自分が辛くなると「他人は変えられないから自分が変わらなきゃ」って思う。しかしそんな簡単には自分を変えられないのが現実である。変わらなきゃと思うと焦るし、そんな自分が悪いと自責に追い込まれる。心が擦り減る。不幸だって感じてしまう。だったら自分は変わらなくていいと思う。辛くなった自分を優しく、大切に癒せばいい。ありのまま、そのままの自分がいい。自分が自分であればいい。自分をしっかり愛せたときには、他人やものごとの見方や捉え方だけ変えてみればいいから。