院長ブログ

僕は僕を僕に。

2024年4月23日

 他人や過去は変えられないけど自分は変えられる、とよく言われるけど自分の何を変えたらいいのか?誰だって、自分が変われないから辛いのだ。自分を変えなくては、と焦る。そして何が悪いのか?と不安になる。そして実は、自分が自分でなくなるのは一番辛い。唯一無二の自分をもう一度確認してみる。いっぱい宝物がある。そしたら自分が自分であればいいはずだ。自分の自分への姿勢や態度だけ少し変えてみる。僕は僕を大切に、僕に愛をあげればいいだけだ。


誰かの不機嫌

2024年4月20日

 乳幼児期と学童期の子供にとって親の不機嫌は、最も避けたいことだろう。幼い子は親が面倒を見てくれなくては生きていけないのである。だから何とか親を不機嫌にしないように、良い子を演じるようになるのは本能に近い。しかしそれが続けば誰かの顔色ばかり伺う人に成長する。誰かの不機嫌を嫌うようになる。生きづらさを抱えてしまうかもしれない。親が子供を喜ばそうと張り切るゴールデンウィークが近いが、まずは親が自分のご機嫌をとれなければいけない。子供は親に楽しいところに連れていってもらうことより、不機嫌になられない方が嬉しいことを忘れてはいけない。他人の不機嫌を恐れるように育ててはいけない。


心の境界線

2024年4月16日

「私たち夫婦なんだから何でも言ってよね!」と言って夫のLINEを盗み見る妻。「隠し事は悪いことよ。」と言って勉強机の中を盗み見る母親。「風通しのよい職場を作ろう!」と言って聞かれたくないプライベートまで聞き出そうとする上司。これらの人は愛を支配と勘違いしているのではないだろうか?夫婦間でも、親子間でもお互いの心の境界線を決して越えてはならない。だから自分の心の境界線はしっかり守る。嫌なことには嫌だと告げる。自分の境界線を大切にできる人は、他人の境界線を大切にできる。愛とはお互いの心を尊重しあうことだから。


親育て

2024年4月9日

 子供の頃から親を尊敬し唯一のモデルとして成長してきた。親にこうしなさい、ああしなさいと言われてもだいたいは素直にそうしてきたつもりだ。次第に大人になり親からの距離は離れて、今自分自身の人生を歩んでいる。今日は町中で、親に手を引かれて満開の桜の下の入学式。もう一度子育てについて考え直した。まずは完璧な人間などいないことが前提である。親自身も未熟で不完全な一人の人間だ。また不安や心配を常に抱えている親こそが子供をコントロールしたがる傾向にある。そして服装や友達、進路や恋人、趣味や仕事にまでダメ出しを繰り返す。子としてはそんな親にもいつしか反抗をするべきだ。反抗期を経て親も子もそれぞれが違う人間だと認識するからだ。反抗期が思春期である必要はないとも考えるが、親子の人間性の分離は必ず通るべき道でなければならないと考える。その中で親は子育てをしながら自分自身の人間性や人生観を見直したい。まさに子育ては親育てである。親が人として成長していく姿を見せていくことが子供にとっての成長に一番大切なことだと信じている。


あくまで個人の感想です

2024年4月2日

 通販の番組やサイトの画面の傍に小さく書かれている「あくまで個人の感想です」の一言は、僕たちの購買意欲を冷静にさせてくれているかもしれない。周りではみんなが好きだとか美味しいだとかで、行列を作るラーメン屋や売り切れ必至の商品が生まれている。また食べ物だけではなく、人だってみんなが好きだからとの理由で、その人のファンになったりもする。人や物を他人の評価のフィルターを通して見つめてしまいがちである。しかし一番大切なのは自分が好きかどうか、美味しいかどうかである。また他人の評価で心動かされる人は、自分への他人の評価を気にして生きやすい。それが生きづらさに繋がらないようにしたい。原則自分の評価は自分でしか決められない。そして自分のことはどんなときでも絶対的に高評価でいたい。そして自分が好きなものを大切にする。また他人の好きなものも尊重してあげたい。だって全ての評価は、あくまで個人の感想ですから。



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