院長ブログ

憧れの存在

2025年9月18日

 悲しい知らせが届いた。早すぎた。その人のことは若い頃から知っていた。お父様の小中高大の卒業校が全て僕と同じとのことで、親近感を抱いてくれていたのか、よく声をかけてくれた。大学時代にアメフトで戦ったことを後から知ったときには、この人とは運命的に繋がっているとも思った。先生と食事した時間はとても楽しく、誘ってもらえた釣りにももう行けないことも悲しい。いつも周りから頼られる歯科医であった。もちろん僕も頼った。家族や職員、難しい患者さんも何度も救ってもらった。僕自身も痛みから何度か救ってもらった。頼んだ仕事を決して断らず、歯のことに関しては全て自分の使命とばかりに引き受けてくれた。近所でこんなに頑張っている素敵な先生がいることに、どんなに力をもらってきたか計り知れない。憧れていた。もういないと思うと辛い。いつも朗らかに駆け回っていたことが、若くして他界されたことに少なからず繋がったのだと思うが、それが大きな魅力であった。人はいつ死ぬか分からないが、僕もその日が来るまで先生のように頼られる、駆け回れる、引き受けられる医師でありたい。ゆっくりお休み下さい。


普通が当たり前

2025年9月13日

 普通なんて人によって違う。自分の期待を他人に普通として求めてないか?自分が他人を操作するために、自分の普通を押し付けてはいないか?また普通を連呼している人ほど怒っている。つまり普通なんてものはないと思っていい。あっても電車くらいなものだ。また当たり前なんてものもない。食べられて、寝られて、仕事があって、自分を必要としてくれる人がいて、愛せる人や物があって、笑えて泣けて、今生きている自分がいる。全部当たり前ではなくて、ありがたいことと感じていたい。普通だったら幸せか?当たり前が多ければ幸せか?普通はなくて、当たり前ではないことを感じられることが幸せなのである。


不幸の種

2025年9月6日

 勉強ができなくて不幸か?そう思う人は勉強ができるようになっても不幸であろう。離婚して不幸か?結婚していた不幸な人がたまたま離婚しただけである。早くに配偶者と死別して不幸か?長生きしても不幸かもしれない。思えば誰の周りにも不幸の種などいくらでも転がっている。わざわざ拾って育てているだけだ。テレビで見る輝いているあの人だって不幸だと思って生きているかもしれない。幸せは自分にしか分からないし、自分でしか決められない。自分にあるものに感謝せず、ないものを羨み、妬み、ねだればそれは不幸に繋がる。もし自分が不幸の種を拾っているのに気づいたときには、自分にある幸せの花を大切に愛でるのだ。


長男の誕生日に

2025年8月24日

 先日長男が誕生日を迎えた。もう19歳になった。思えば19年は短くとも長かった。僕が彼と親子という関係で出会い本当に良かったと思い、改めて生まれてきてくれたこと、育ってきてくれたことに感謝したい。僕自身は病院の息子として生まれて育ち、周りの期待を裏切らないように頑張り、医師になった。そして現在がある。それを当たり前のように、彼にも生まれたときから同じ期待をしてきたのだった。しかしある頃からいわゆる勉強をあまりしなくなった彼を残念に思いながらも、医師の道には進まないことを少しずつ受け入れてきた。自分の好きなこと、得意なことを思いっきりやって欲しいと願うようになれた。これからも心から応援したい。彼の優しさ、明るさ、周りへの気遣いの上手さ、手の器用さが彼にはある。成長するに従い変わってきた距離感と、長男への思いを再確認した誕生日だった。


生きているうちに

2025年8月9日

 今まで沢山の医師たちに多くのことを教わってきて、今の医師としての僕がいる。その中でも若い頃に沢山指導してもらった先生が亡くなった。患者さんの診方、カルテの書き方、職員への声のかけ方など教わったことに枚挙にいとまがない。しかし若い僕が反発を感じたことも少なくはなかった。今となっては恥ずかしいが、自分の方ができると思ったこともあった。尊敬してたのに、上手く感謝を伝えられなかった。もっと教わることもあったに違いない。もっと素直に話を聞けばよかった。生きているうちだからこそが足りなかったことを悔やむ。だから先生から教わったこと、先生だったらどうするだろうことを考えて自分の中に生き続けさせていきたい。感謝を込めて医師としての人生を生きていきたい。



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