
自分の期待が現実より大きいから辛くなる。無いものを求めるから苦しくなる。他人と比べるから無いものに目が行く。現実を受け止めて一つ一つ対処する。そして「俺スゴくない?」って俺だけに聞く。「スゴいじゃん!」て心の中で答えてればいい。今日も自分が自分であることに気づける。
自分の期待が現実より大きいから辛くなる。無いものを求めるから苦しくなる。他人と比べるから無いものに目が行く。現実を受け止めて一つ一つ対処する。そして「俺スゴくない?」って俺だけに聞く。「スゴいじゃん!」て心の中で答えてればいい。今日も自分が自分であることに気づける。
類は友を呼ぶから自分が生きる価値を見出せずに誰からも愛されない存在だと思っていても友はいるかも。上司の悪口を帰りに吐き出し合う会社の飲み友、夫や姑の愚痴を言い合うママ友、映えることともらういいねの数で評価し合う女友達ー。でもそれは自分を愛して大切に生きていけば去っていく友かも。自分が成長したときそんな友はいないかも。でもそのとき尊敬できる新しい友がやってくる。
「私がこんなにしてあげたのに」と言う人がいる。愛や親切に見返りを求めている。また「言ってくれればよかったのに」ってよく聞く。言えなかった人の気持ちが分からないのだ。このように「のに」を使う人は苦しくなる、いや「のに」を心に持っている。だから「のに」を言う前にまずは自分に愛や親切を与えるのが答え。その見返りにはみんなに愛や親切を分けられる。言えなかった人にもそれを分けられたら、言えなかったことも言ってくれるかも知れない。どんなときも満たせれた自分でいられる人が、愛情ある親切な人だと思うのに。
神さまは僕たちに平等に生命をくれた。しかしそのこと以外はちっとも平等ではないことに気がついた。能力、容姿、親、出会いなど全て違う。つまり不平等である。平等を主張するだけでエネルギーがもったいない。だから自分を他人と比べる必要も無くなる。不平等を受け入れよう。神さまがくれたものを大切にするかしないかだけが問題だから。
自分が苦しいとき、人は苦しみの理由を外に求める。他人や環境に。しかし外に求めるとますます苦しくなる。苦しむために苦しむのだ。苦しみの理由は自分の中に必ずある。自分の中に見つけられればやるべきことが分かる。やるべきことをやれば苦しみがなくなる。