
生まれてくる親を子供は選べないとか学校や職業、結婚などといった自分の道は自分の責任で選択する。その考えの一方で、自分が自分の人生のシナリオを生まれる前に決めていて、親を予め選び、自分の人生の決断は前もって決まっている。その決まった人生を楽しみにページをめくっていく。
前者の方が現実的で、後者の方が幻想的な印象を受ける。しかし後者の方が苦しみや悲しみを受け入れ、楽に生きられる気もする。不満や後悔も少ない考え方。前向きに大切にして生きられる。


生まれてくる親を子供は選べないとか学校や職業、結婚などといった自分の道は自分の責任で選択する。その考えの一方で、自分が自分の人生のシナリオを生まれる前に決めていて、親を予め選び、自分の人生の決断は前もって決まっている。その決まった人生を楽しみにページをめくっていく。
前者の方が現実的で、後者の方が幻想的な印象を受ける。しかし後者の方が苦しみや悲しみを受け入れ、楽に生きられる気もする。不満や後悔も少ない考え方。前向きに大切にして生きられる。

この世に一人のかけがえのない自分。生まれてから死ぬまでずっと一緒の自分。誰に何と言われても、欠点や苦手があっても、好きな人に悲しいことをされても大丈夫だから。いくつになっても病気になっても自分らしくいればいいから。好きなことを一生懸命やれる、楽しいって笑える、幸せって感じられる。自分を思いっきり愛すれば、愛が溢れてみんなに分けられるよ。自ら分けるんだよ。

僕たち人間は他の人を喜ばせることが喜びで、これは他生物にない本能である。配偶者、家族はもちろん、友人、同僚、親戚、近所の人、通りすがりの人に至るまで。そして僕たちが仕事をするのはお金だけのためではなく、病院なら患者さん、お店ならお客さん、学校なら生徒、警察官なら市民など、みんなに喜んでもらうことが大きなやり甲斐であり、喜びだ。だから仕事をしていて辛くなったらここに帰ればいい。家族に辛い言葉をかけられたって同じだ。自分は周りを喜ばせられているか?役に立っているか?絶対大丈夫。

僕には自分が苦しくなったとき絶対助けてくれる仲間がいると信じている。大学生時代のアメフトの仲間たちだ。あの頃は時間も忘れ、家族や恋人も忘れ、勉強も忘れてアメフトに夢中になった。一緒に汗や涙、血や愚痴まで流して、体や心のエネルギーを全て使った。学生時代にスポーツをしていると肉体や精神が鍛えられて、社会に出て活躍できると言われているが、本当だろうか?僕はそんなに鍛えられただろうか?むしろ怪我して痛いところしか残っていないし、社会人になってからの不摂生で体力は落ち、精神力だってついたか疑問である。今の僕には、あの頃の友人と思い出しか残っていない。でもそれが宝物。

コロナ禍が落ち着いてもマスク生活は続くだろう。息が苦しい、マスクを忘れ物にできない、聞き間違いが増える、顔全体が見られない。いいことと言えばマスク美人が増えることくらい。でも目は見ることができる。目は口ほどに物言うことを身に沁みて感じる毎日。元気?嬉しい?作り笑い?悲しい?幸せ?好き?嫌い?怒っている?マスクの下は…?全部目を見れば分かる。目という字は口が三つ重なることで成る。