
僕たち人間は他の人を喜ばせることが喜びで、これは他生物にない本能である。配偶者、家族はもちろん、友人、同僚、親戚、近所の人、通りすがりの人に至るまで。そして僕たちが仕事をするのはお金だけのためではなく、病院なら患者さん、お店ならお客さん、学校なら生徒、警察官なら市民など、みんなに喜んでもらうことが大きなやり甲斐であり、喜びだ。だから仕事をしていて辛くなったらここに帰ればいい。家族に辛い言葉をかけられたって同じだ。自分は周りを喜ばせられているか?役に立っているか?絶対大丈夫。


僕たち人間は他の人を喜ばせることが喜びで、これは他生物にない本能である。配偶者、家族はもちろん、友人、同僚、親戚、近所の人、通りすがりの人に至るまで。そして僕たちが仕事をするのはお金だけのためではなく、病院なら患者さん、お店ならお客さん、学校なら生徒、警察官なら市民など、みんなに喜んでもらうことが大きなやり甲斐であり、喜びだ。だから仕事をしていて辛くなったらここに帰ればいい。家族に辛い言葉をかけられたって同じだ。自分は周りを喜ばせられているか?役に立っているか?絶対大丈夫。

僕には自分が苦しくなったとき絶対助けてくれる仲間がいると信じている。大学生時代のアメフトの仲間たちだ。あの頃は時間も忘れ、家族や恋人も忘れ、勉強も忘れてアメフトに夢中になった。一緒に汗や涙、血や愚痴まで流して、体や心のエネルギーを全て使った。学生時代にスポーツをしていると肉体や精神が鍛えられて、社会に出て活躍できると言われているが、本当だろうか?僕はそんなに鍛えられただろうか?むしろ怪我して痛いところしか残っていないし、社会人になってからの不摂生で体力は落ち、精神力だってついたか疑問である。今の僕には、あの頃の友人と思い出しか残っていない。でもそれが宝物。

コロナ禍が落ち着いてもマスク生活は続くだろう。息が苦しい、マスクを忘れ物にできない、聞き間違いが増える、顔全体が見られない。いいことと言えばマスク美人が増えることくらい。でも目は見ることができる。目は口ほどに物言うことを身に沁みて感じる毎日。元気?嬉しい?作り笑い?悲しい?幸せ?好き?嫌い?怒っている?マスクの下は…?全部目を見れば分かる。目という字は口が三つ重なることで成る。

自分が苦しいとき、そっと側にいて欲しい。 br>
自分が苦しいとき、笑顔で話を聞いてもらいたい。 br>
自分が苦しいとき、頑張ったねって言って欲しい。 br>
自分が苦しいとき、大丈夫だよって励まして欲しい。 br>
自分が苦しいとき、涙の理由を分かって欲しい。 br>
自分が苦しいとき、愛されていたんだと気がつきたい。

僕たちは誰でも、生き難い困難となり得るものを一つや二つは持っている。そこに深刻性を自ら与えるかどうかで人生の困難か、あるいは取るに足らないことかは決まってくる。しかし生きることが辛い、苦しいと思っている人にとっては、その原因がまさか自分が与える深刻性にあるとは考える余地を残していない。そして全てを他人のせいにする。本当に困難か?一大事か?全てあの人のせいか?を考えるきっかけさえあれば、もっと言えば視点を変えられるだけで取るに足らないって思える。できれば、側に深刻性質を変えてくれる人がいればいい。自分に力を与えてくれるその人を大切にしたい。それが愛であり、人生の喜びとなる。