
「どうせ私のことなんか誰も…」って言う人は自分がそのような「私」を作っている。「誰も構ってくれない」、「誰も分かってくれない」とか、酷くなると「私に生きていて欲しくない」、「私のこと何も考えてもいない」なんて。自分が周りの人を外に追いやり、不機嫌そうにして、つまらない過去に囚われていれば、そんな人には誰も近づきたくなくなる。感謝を忘れないで、自分を大切にすればいい。そしてみんなに親切を投げれば、そんな「私」を自分も周りも好きになるから。


「どうせ私のことなんか誰も…」って言う人は自分がそのような「私」を作っている。「誰も構ってくれない」、「誰も分かってくれない」とか、酷くなると「私に生きていて欲しくない」、「私のこと何も考えてもいない」なんて。自分が周りの人を外に追いやり、不機嫌そうにして、つまらない過去に囚われていれば、そんな人には誰も近づきたくなくなる。感謝を忘れないで、自分を大切にすればいい。そしてみんなに親切を投げれば、そんな「私」を自分も周りも好きになるから。

輝かしい栄光の過去だって、嘆かわしい悲しい過去だって囚われるべきではない。武勇伝を鼻を膨らませて豪語するおじさんだって、過去に異性にちやほやされた着飾る厚化粧のおばさんだって、いつかのオリンピックの金メダリストだって、現在はどうか?親に愛されなくたって、友達にいじめられてたって、永遠を誓ったパートナーに裏切られたって、上司に罵られたって、現在はどうか?どんな過去も今に活かすためのもの。僕たちは過去に生きてはいけない、今に生きているんだから。

子供のころから苦手な人はいる。苦手な人の苦手な部分にスポットを当てて「嫌だな」とか、「会いたくないな」って思う。だけどその人が自分の人生に何を教えようとしているのか?どうしたらいい距離を保てるか?を考えて行動する。「何て運が悪いのだ」と嘆いたり、「あの人って…」と周りの人たちに悪口を聞いてもらっても解決はしない。だったら自分はどうするのか?を考えて主体的に行動することが自分を強くする。

喧嘩した人だって、嫌われていると思った人だって、怒鳴られた知らない人だって、何度も同じことを言わせる人だって、頼んだことに嫌な顔する人だって、自分の話をあまり聞いてくれない人だって、感情をぶつけてしまって後悔した人にだって有り難いって思う。太陽だって、月だって、雲だって、雨だって、花だって、お肉だって、お魚だって、有り難いって思う。ありがとうって思えれば幸せを感じられる。

種子を蒔いて育てる。陽にあてる、水をやる、ときには栄養を与える。芽を出し、茎を伸ばし、いつか花を咲かせる。それが楽しい。人の親たちは赤いチューリップを期待して、黄色のチューリップを赤くしようとしたり、薔薇が見たいからって、朝顔を薔薇にしようとする。それをやろうとして、親も子も苦しむ。その子が何の花を咲かすかなんて咲くまで分からない。だから思うようには育たないのを楽しむ。見守り、サポートし、そして愛でる。花を育てるように人を育てられたら幸せ。