
文句を言って頑張っても、頑張ってるとは思えない。文句を言っている時点で自分も周りも頑張るエネルギーを奪われている。そして言っている人には近づきたくない。文句を言わずに頑張って欲しい。


文句を言って頑張っても、頑張ってるとは思えない。文句を言っている時点で自分も周りも頑張るエネルギーを奪われている。そして言っている人には近づきたくない。文句を言わずに頑張って欲しい。

子供のころはよく考えると毎日幸せだった気がする。病院で働く両親は忙しい合間に遊んでくれたり、旅行に連れて行ってくれたり沢山してもらった。周りの大人たちにもいっぱい可愛がってもらった。友達とも朝から晩まで遊んだ。何を食べても美味しかったし、何をしても楽しかった。大人になったら周りの人達を助けたいって思うようになっていた気がする。いつの日か少しずつ毎日が楽しいだけでは無くなっていた。周りと比べるから?競争するから?足りないものばかりを求めるようになったから?自分が自分らしくいられなくなったから?でもいつも幸せだって少しずつ分かってきた気がする。
そんなことを考えて見られた映画に出会えました。

節分に考えた。愛するの反対は憎むだと。たくさん愛すると福となり、たくさん憎むと鬼になってくる。福も鬼も人間の心の産物。誰かを愛すること、そして誰かを憎まないことが「鬼は外、福は内」につながっていく。

人生の悲しみは突然やってくる。そしてその起きてしまったことに苦しみ、「ああすれば良かった」と嘆く。その悲しみを「乗り越える」とはどういうことか?「あのとき、あの場所でああすれば良かった」では乗り越えていない。「あれが起きたから今の自分がいる」と思えることで乗り越えたと言える。悲しみを忘れたり、怒りに変えずに、自分の力に変えられたことで乗り越えられたんだって思える。

SNSを通じて日常生活がいかに充実しているかとか、もっと言えば幸せをアピールすることでしか幸せを得られない人もいる。何が幸せか?って議論はするつもりはないけど、自分自身でのみ感じられるのが幸せだと思う。自分が自分でいられること、自分の人生に感謝できること、自分自身が喜ばれる存在であることが必要条件であることも間違いない。少なくともアピールする必要を感じてしまうことが幸せだとは思わない。