
節分に考えた。愛するの反対は憎むだと。たくさん愛すると福となり、たくさん憎むと鬼になってくる。福も鬼も人間の心の産物。誰かを愛すること、そして誰かを憎まないことが「鬼は外、福は内」につながっていく。


節分に考えた。愛するの反対は憎むだと。たくさん愛すると福となり、たくさん憎むと鬼になってくる。福も鬼も人間の心の産物。誰かを愛すること、そして誰かを憎まないことが「鬼は外、福は内」につながっていく。

人生の悲しみは突然やってくる。そしてその起きてしまったことに苦しみ、「ああすれば良かった」と嘆く。その悲しみを「乗り越える」とはどういうことか?「あのとき、あの場所でああすれば良かった」では乗り越えていない。「あれが起きたから今の自分がいる」と思えることで乗り越えたと言える。悲しみを忘れたり、怒りに変えずに、自分の力に変えられたことで乗り越えられたんだって思える。

SNSを通じて日常生活がいかに充実しているかとか、もっと言えば幸せをアピールすることでしか幸せを得られない人もいる。何が幸せか?って議論はするつもりはないけど、自分自身でのみ感じられるのが幸せだと思う。自分が自分でいられること、自分の人生に感謝できること、自分自身が喜ばれる存在であることが必要条件であることも間違いない。少なくともアピールする必要を感じてしまうことが幸せだとは思わない。

何か一つ失敗すると「何もできない、自分は無能だ」と思ってしまう人がいる。しかもそれを周りに言う。今までの失敗を処理できずにいつまでも積み重ねて、それを検索して探して併せて考えているから。逆に今の失敗を処理していけば次の失敗も処理できる。処理とは失敗から学び、自分の次にどうするかの行動を変えること。それを続けていくだけのこと。起きてしまったことは防げない。失敗することが無能ではなく、失敗から学ばないのが無能なのだ。

外来診療のほとんどは相談義務だ。相談の内容は疾患や症状ばかりではなく、家族の悩みや仕事の人間関係などがそれに含まれることも多い。相談を受けて検査や投薬、もしくは考え方のアドバイスを行い解決に向かえばいいが、相談するうちに解決をしたいのではなく、ただ愚痴や不満を聞いてもらいたいのではないかと思うことが多い。それは仕事以外でもそうだ。不満や愚痴を言ったらそのときはスッキリするかも知れないが、また同じことを繰り返す。また聞く方は解決策を考えてあげようとしても目的は誰かにぶち撒けるだけなので、むしろ解決して欲しくないとさえ思えることも多い。悩んでいること自体で気持ちがいいかもしれない。エネルギーと時間が無限なら聞いてあげたいのだけれど。