
自分は何があっても大丈夫と思えないと自分を守るために他人の欲求に敏感過ぎるようになる。そして過剰に期待に応えようとする。エネルギーを使い果たして心身共に疲れて、こうなったのは他人のせいと憎しみを抱き、世界を敵に回す。自分は誰からも愛されていないって思うのだ。自分は自分しかいないし、自分であればいいと信じて。自分を信じられることが自信。得意なことが無くてもいいし、何をやっても遅くていい。自分の存在、能力、過去全てを肯定することを続けることで自信が持てる筈だから。


自分は何があっても大丈夫と思えないと自分を守るために他人の欲求に敏感過ぎるようになる。そして過剰に期待に応えようとする。エネルギーを使い果たして心身共に疲れて、こうなったのは他人のせいと憎しみを抱き、世界を敵に回す。自分は誰からも愛されていないって思うのだ。自分は自分しかいないし、自分であればいいと信じて。自分を信じられることが自信。得意なことが無くてもいいし、何をやっても遅くていい。自分の存在、能力、過去全てを肯定することを続けることで自信が持てる筈だから。

他人に仕事を頼んだら全てを任せた方がいい。何も言わずに見守ればいい。自分がやり切れないから頼んだのにあれこれ言わない方がいい。頼まれた人が困ったときだけアドバイスすればいい。助けてって言われたときだけ手を出せばいい。自分の存在だけで頼まれた人の力になっていると思えばいい。頼んだ相手に感謝を忘れずに。頼み切ることも人間力だと思います。

パワースポットって日本全国随分ある。メディアでは年々増える。何かの神さまからの電波が出ているイメージがあったがそんなことはもちろんない。歴史遺産に先人たちがエネルギーを持って創ったことをイメージしたり、自然界の偉大さを五感で感じることがいわゆるパワースポットの正体。自分たちが毎日他人の目を気にしたり、時間に焦ったりという日々の煩わしさから離れられる。愛や優しさといった本来みんなが持つ心を呼び起こし、自分自身の成長欲求を確認し、そして後悔や不安を忘れられる場所。どこでも自分のパワースポットを作れるようにしたい。

取るに足らない小さなことで怒り散らしている人は、根本的に不安を抱えていて、人間性に重大な問題があるに違いない。そして攻撃対象として怖くない、弱い人物を罵る。更にその人は「そんな些細なことで…」って言われたら、それをあたかも重大に取り上げてきて攻撃する。こういう人をどうしたら救えることができるのか?自分自身に愛が足らないのだろうって今は考えている。

全ての生物は死という現象をやがて迎えるが、その生を全うするためのプログラミングを持っている。つまり生きようとしている。我々より遥かに単純な生物にもそれは信じて疑いない。しかしどう生きるかまたは何が幸せかというプログラミングは複雑な人間ですら持っていない。このプログラミングは生まれてから死を迎えるまでに行っていく私たちの課題、人生そのものと考える。親がするものでも学校がするものでもなく、自分自身がするもの。それを意識してみる。