
「私がこんなにしてあげたのに」と言う人がいる。愛や親切に見返りを求めている。また「言ってくれればよかったのに」ってよく聞く。言えなかった人の気持ちが分からないのだ。このように「のに」を使う人は苦しくなる、いや「のに」を心に持っている。だから「のに」を言う前にまずは自分に愛や親切を与えるのが答え。その見返りにはみんなに愛や親切を分けられる。言えなかった人にもそれを分けられたら、言えなかったことも言ってくれるかも知れない。どんなときも満たせれた自分でいられる人が、愛情ある親切な人だと思うのに。


「私がこんなにしてあげたのに」と言う人がいる。愛や親切に見返りを求めている。また「言ってくれればよかったのに」ってよく聞く。言えなかった人の気持ちが分からないのだ。このように「のに」を使う人は苦しくなる、いや「のに」を心に持っている。だから「のに」を言う前にまずは自分に愛や親切を与えるのが答え。その見返りにはみんなに愛や親切を分けられる。言えなかった人にもそれを分けられたら、言えなかったことも言ってくれるかも知れない。どんなときも満たせれた自分でいられる人が、愛情ある親切な人だと思うのに。

神さまは僕たちに平等に生命をくれた。しかしそのこと以外はちっとも平等ではないことに気がついた。能力、容姿、親、出会いなど全て違う。つまり不平等である。平等を主張するだけでエネルギーがもったいない。だから自分を他人と比べる必要も無くなる。不平等を受け入れよう。神さまがくれたものを大切にするかしないかだけが問題だから。

自分が苦しいとき、人は苦しみの理由を外に求める。他人や環境に。しかし外に求めるとますます苦しくなる。苦しむために苦しむのだ。苦しみの理由は自分の中に必ずある。自分の中に見つけられればやるべきことが分かる。やるべきことをやれば苦しみがなくなる。

自分の容量が足りないにも関わらず仕事を自分から引き受けるから後でパニックになる。自分の責任をまず全うしてないのに他人の責任まで負おうとするから疲れる。自分の容量と責任を意識して仕事はするもの。それだけを繰り返していけば仕事の要領も良くなる。

「楽をしよう」とすればするほど楽にはならない。大小のあらゆる困難から逃げ、さらにそれを他人に押しつける。逃げていればむしろストレスに弱い人間になると思う。生まれてからそういうポリシーがどこかで根付いたのだろう。積極的に他人と関わり、困難を課題として取り組み、逆境から学び、何事にも感謝ができているならば、自然と生きることは楽になっているであろう。楽はあくまでも結果であると考える。