
数年前に走り出してから、一年中どこかしらの筋肉痛がある。筋肉痛から痛みが強くなり、走れなくなったこともある。でも痛くなったところが、少しずつ強くなっている。筋肉が大きくなっている。筋肉痛からの回復も少しだけ早くなった気がする。
僕たちは幼い頃から痛い思いをしてきた。身体はもちろん、心の傷も痛む。でもそれに立ち向かってきたから、少しずつ成長できたと信じている。痛みの後には必ず成長がある。痛みのない成長はないと、今日も信じて空を見上げる。


数年前に走り出してから、一年中どこかしらの筋肉痛がある。筋肉痛から痛みが強くなり、走れなくなったこともある。でも痛くなったところが、少しずつ強くなっている。筋肉が大きくなっている。筋肉痛からの回復も少しだけ早くなった気がする。
僕たちは幼い頃から痛い思いをしてきた。身体はもちろん、心の傷も痛む。でもそれに立ち向かってきたから、少しずつ成長できたと信じている。痛みの後には必ず成長がある。痛みのない成長はないと、今日も信じて空を見上げる。

子供は親を選べない。親の選択にも着いていくしかない。小学校、住むところ、習い事、学童保育、旅行先などまず選べない。親の誘導について行くしかないだろう。でも大人になったら選べる。就職先、結婚相手、住所、趣味などある程度の制約はあるのが前提とはなるが。だけど自分が選んだものに悪口を言う人がいる。会社が嫌いだと言って何年も給料をもらっていたり、配偶者の愚痴を言いながら年寄りになる人がいる。違う。自分の選択に責任を持ち、努力する。それこそがきっと大人なのだろう。

人は他人に好かれようとして自分を偽る。大したことないことを盛って自慢話をしたり、知らないことを知ってる振りをしたり、武勇伝を何度も繰り返し話したりしがちになる。だけど周りにはそれが分かるから、自分を大きく美しく見せようとする人に対して、スルーするか嫌気を感じてむしろ嫌いにすらなる。好かれようとするほど嫌われるのだったら、そのままのあなたでいい。そのままこそがかけがえのないことだもの。

流行りのブランド品で身を固め、好きではない仕事を肩書きのために勤めて、SNSに何でも綺麗にアップして、子供の適性を考えずにお受験させたりする。恐らくその人たちは、自分にないものを持っている人をうらやんでいる。そして手にしたそれを見せびらかすために生きてしまう。うらやましいと言ってみてもいいが、うらやましいと思い続けてもしょうがない。僕にないものはいっぱいあるし、僕にあるものもいっぱいあるから。

何が一番怖いのか?病気、天災、幽霊…って意見はあるが、生きてる人間が一番怖いとよく聞く。生きてる人間のどんなところが怖いのかって考えた。僕は他人の怒り、憎しみ、恨みだろうか。また、視点を変えてみると他人の拒否も怖いものに当たる。そこで人は怖がると仮面をつけて、本当の自分を隠してしまうのだ。素顔の自分はきっと受け入れてくれないだろうって。他人には安易に近づかない方がいい、近づくときは仮面をつけてそろりそろりと。でもそんなとき、本当の顔を出した方が受け入れてくれることに気づくべきだ。仮面をつけた人は、受け入れにくいことに気づいた。