
辛い、苦しいって周りに叫んでいる人がいる。自分に注目を集めて慰めて欲しいのだ。だいたいそういう人は周りのことは考えられず、愛されない。大した努力をしない。まず何が苦しいのか聞くとだいたいは他人のせいにしている。自分で選択したことに責任を持って前を向いてやっていれば愛されるから。できる範囲でいいから。余裕のある範囲でいいから。
辛い、苦しいって周りに叫んでいる人がいる。自分に注目を集めて慰めて欲しいのだ。だいたいそういう人は周りのことは考えられず、愛されない。大した努力をしない。まず何が苦しいのか聞くとだいたいは他人のせいにしている。自分で選択したことに責任を持って前を向いてやっていれば愛されるから。できる範囲でいいから。余裕のある範囲でいいから。
毎年七月に勤続の節目となった職員を表彰させてもらっている。開院51周年となった。「継続は力なり」って言うけど、続けるために仕事をしていたら苦しくなる。毎日毎日、一つ一つを大事にして仕事をしていった結果が継続となる。それが仕事を通して人間としての成長、自分の力となる。そう思うとまた涙が流れた。
人のためにとか会社のためにとか、国家のためにと唱えて、近くの他人を攻撃する過ちを人間は犯してきた。ナチスドイツはゲルマン民族のためにと言って、多くの悲劇を作った。だいたいは自分の不安や不満を解消するために他人を傷つける正当性を「〜のために」と言うことが多い。「あなたのために」と言って、恩を着せたり傷つけたりもする。他人を傷つけてはいけない。人は他人を愛する自己実現のためにとは言いにくいのか?
泣いている子供に怒鳴って怒った親を見かけた。生まれてくる子供は無力であるから守るのが親。不快なら泣くことはできる。やがて子供は少しずつ成長し、自分のあらゆる不快な感情で泣けるようになる。更に成長すると今度は子供を肯定しながら不快なことから情緒を救うのが親。自分の不快をぶつけてはいけない。親子の逆転をしてはいけない。子供と一緒に情緒を成長させることが親の務め。
「誰からも好かれる人」。ありえません。そんなことはどんなに優しくて、かっこよくて、頭が良くても不可能です。またそれを目指す必要もありません。逆もそうです。全ての人を好きになる必要もありません。自分が自分に好かれることだけが必要なことだと考えます。