
種子を蒔いて育てる。陽にあてる、水をやる、ときには栄養を与える。芽を出し、茎を伸ばし、いつか花を咲かせる。それが楽しい。人の親たちは赤いチューリップを期待して、黄色のチューリップを赤くしようとしたり、薔薇が見たいからって、朝顔を薔薇にしようとする。それをやろうとして、親も子も苦しむ。その子が何の花を咲かすかなんて咲くまで分からない。だから思うようには育たないのを楽しむ。見守り、サポートし、そして愛でる。花を育てるように人を育てられたら幸せ。
種子を蒔いて育てる。陽にあてる、水をやる、ときには栄養を与える。芽を出し、茎を伸ばし、いつか花を咲かせる。それが楽しい。人の親たちは赤いチューリップを期待して、黄色のチューリップを赤くしようとしたり、薔薇が見たいからって、朝顔を薔薇にしようとする。それをやろうとして、親も子も苦しむ。その子が何の花を咲かすかなんて咲くまで分からない。だから思うようには育たないのを楽しむ。見守り、サポートし、そして愛でる。花を育てるように人を育てられたら幸せ。
人はよいところを必ず持っている。だから他人をいくらでも褒めることができる。よいところを褒められればその人は気分良く自信を持って頑張ることができる。幼い頃、親や教師たちは僕たちに足りないことを指摘しがちで、僕たちはそればかり意識するようになった。仕事でも家庭でもよいところを徹底的に褒めたら、みんなの能力が発揮されてよい世の中になるし、また褒められたい人がその人の周りに集まる。不思議と褒められた方だけではなく、褒める方も気分が良くなるのだ。さあ、自分もみんなのよいところを探そう。
時代劇や歌舞伎では仇打ちなるものが好まれる。昔から親や君主などが殺されたらその憎しみから命を狙って周到に準備する。僕たちは武士ではないから殺人とまではいかないものの、恨みを含めて憎しみを抱き復讐しようと思う人もある。しかし結局はそれ自身が自分を苦しめることになる。だからその苦しみから解放されるために仇を打つのだ。憎しみを抱かなければ苦しまないし、仇を打とうとも思わない。もし許せないことをされたら、自分がその人にされたようなことは絶対やらないと強く心に刻もう。もし復讐したとしたら自分が傷ついたことだけを伝えてもいい。そして距離を取る。物理的な距離でも、心理的な距離でもいい。それが賢い仇打ち。
頼まれたことを嫌な顔する人と笑顔でする人がいる。家族であれ、職場であれ。余裕がない人とある人の違いだと思っていた。しかし明らかに仕事が少なかったり、時間があると思う人でも嫌な顔をする。逆に仕事のできる忙しいと思う人ほど笑顔でやってくれる。人間力なのかなぁ。自分は頼まれたら笑顔でできる人でいたい。嫌な顔する人を見たらそう思った。
今年も日本シリーズが終わった。幼い頃からヤクルトファンである僕には喜ばしい結果であった。それにしても山本由伸投手は素晴らしい投手だった。ストレートやキレのある変化球と笑顔に魅了された。僕たちにはあんなにすごい球は投げられない。でも、優しさや温かさなら投げられるかも知れないし、それで喜んでくれる人がいればそれが嬉しい。そんなピッチャーでいたい。