
人は言われた言葉で気持ちが変わる。ポジティブにもネガティブにも。ずっと昔に言われたネガティブな言葉を繰り返し思って苦しんでいる人がいる。「何故そんなことを言ったんだろう?自分が嫌いなのか?いなくなって欲しいのか?」って。そんな言葉は思い出さなくていい。でも思い出してしまう。
たぶん、言った人が疲れていたり、焦っていたり、タイミングが悪かっただけだから。今ネガティブな言葉に囚われていたら解釈を変えてみよう。ネガティブな言葉を使って苦しいのはそれを言った人だから。
人は言われた言葉で気持ちが変わる。ポジティブにもネガティブにも。ずっと昔に言われたネガティブな言葉を繰り返し思って苦しんでいる人がいる。「何故そんなことを言ったんだろう?自分が嫌いなのか?いなくなって欲しいのか?」って。そんな言葉は思い出さなくていい。でも思い出してしまう。
たぶん、言った人が疲れていたり、焦っていたり、タイミングが悪かっただけだから。今ネガティブな言葉に囚われていたら解釈を変えてみよう。ネガティブな言葉を使って苦しいのはそれを言った人だから。
自分だけが人生の主人公、親でもパートナーでもなく、子供でも兄弟でもない。だから自分を愛すること。心の中で自分を褒めることで自分に愛情を注ぐことを大切にしたい。それが一番のエネルギー源だから。
一番エネルギーを奪われるのは自己憎悪。自己憎悪にならないために自分を含めた全ての人を責めないこと。前を向いて歩くエネルギーは自分で生み出す。
両親の不仲、両親の多忙、両親の性質、経済的困窮、母姑の確執、介護の問題など客観的に見れば、何も問題のない家庭に育った人はまずいない。それらの自分が生まれてくる家庭の問題を子供の頃は自分で解決できない。だからと言って不幸探しや情緒不安定な理由を見つけようとしたらキリがない。成長するに従って、自分の解釈を加えて捉えることが我々を救う道であり、そうすることで心の問題解決ができる。選べないこと、今生きていること、自分を支えてくれた人が少なからずいたこと、今からいくらでも努力できること、綺麗な景色に喜ぶこと、笑顔になれることなどを考えてみる。主観的に育った家庭を振り返れば、誰もが幸せになれると信じている。
世の中から「〜べき」を失くしたい。「親なら〜するべき」、「男なら〜すべき」ってみんなは言う。強制的に感じる。自分でも「あのとき〜するべきだった」、「やるべきことをやる」と自分に言い聞かせているうちは疲れる。他人には「〜した方がいい」とか「〜して欲しい」と伝えるのが良く、自分には「〜したい」、「〜しよう」と思うと楽になる。まずは「べき」に掴まられないように気をつける。
人に喜ばれることは幸せなこと。僕の人生そのものかもしれない。喜ぶことを考えて準備しているときは楽しい。そして自分が自然態でいるときに喜んでもらうことが嬉しい。喜ばれることを期待し、あまり喜ばれなかったら少し悲しい。だったら喜ばそうとした自分が喜べばいい。