
幼い頃いつの日か母親から離れて遊ぶようになった。初めは母親の姿を見ながら。そのうちその姿が見えなくても遊べるようになる。見守ってくれる人が見えなくても心の中にいるから。
見守るってことはいざと言うとき助けてくれること。いつも一緒にいなくても心の支えになれること。みんなを見守っていく医師でありたい。
幼い頃いつの日か母親から離れて遊ぶようになった。初めは母親の姿を見ながら。そのうちその姿が見えなくても遊べるようになる。見守ってくれる人が見えなくても心の中にいるから。
見守るってことはいざと言うとき助けてくれること。いつも一緒にいなくても心の支えになれること。みんなを見守っていく医師でありたい。
今まで多くの患者さんの診察をさせてもらいました。不快な症状があって生活が不便でお困りであり、できることならそれが楽になって欲しいと診断や治療に努めてきたつもりです。しかし最近感じることは同じ病気や症状であっても一人一人感じ方が違うということ。つまり苦しみ方が違います。中には前向きに捉えて「今見つかって良かった」や「人生を見つめ直すきっかけになった」とおっしゃられる方もいます。一方でほとんどの方が「何で自分がこんな目に」や「あれが悪かったから」と苦しんでいます。僕は病気で苦しんでいるのは心だと思うようになりました。患者さんの病気、そして全人を診ることはもちろん、「病で苦しんでいる心」つまり「病苦」を少しでも和らげられたらと思い、日々の診療にあたりたいと思っています。
他人の不機嫌を嫌がりその人のご機嫌を取ることで私たちは消耗する。そんなことばかりしていたら私たち自身の機嫌が悪くなり、病気にだってなってしまうかもしれない。褒めることがあれば褒めればいいし、プレゼントやお土産だってあげたければあげればいい。しかし機嫌を取っていい人はこの世に一人いる。それは自分。
過去は振り返らないって言うけど、過去がないと今の自分はない。過去は変えられないって言うけど、それは過去に起こった事実を変えられないのに過ぎない。つまり過去に起こった事実に対しての自分なりの解釈はいくらでも変えることができる。「あのときああ言われたから」と何年経ってもネガティブな気持ちに囚われるよりは、「あのときのあの人は何故そう言ったのか?」を考えてみる。過去に戻ってその言葉を言わなければいけなかった理由を考えてみる。そうすれば実はそこに愛があったかも知れない。過去を思い苦しくなったら思い切って振り返り、現実に起こった過去の出来事の解釈を変えてみることが今の自分を幸せに導くことになると思う。
小鳥のカナリアは可愛いし、鳴き声もいい。そしてカナリアの特技は毒ガス探知。古くから炭鉱やオウム事件の捜査でも活躍してきた。
私たちの仕事や生活でも他人の意外な特技が助けてくれることがある。でも特技は自分が出さなきゃ分からないし、それが力になりえない。また特技は磨いて進歩する。自分の特技は何だろう?他人の気持ちを感じて喜ばせることでありたいと思います。