
自分のしたことを過大に評価してもらおうとする人がいる。他人に評価されないと愛されてない、ここに必要ないと感じてしまう。他人からの評価は求めなくていい。大切な人からの評価だってその人の愛を信じていればいい。いつも自分自身が自分を褒めて、足りないところは補う努力を少しでいいから続けてみれば、あとの評価は少しのおまけにはなる。みんな等身大で十分です。


自分のしたことを過大に評価してもらおうとする人がいる。他人に評価されないと愛されてない、ここに必要ないと感じてしまう。他人からの評価は求めなくていい。大切な人からの評価だってその人の愛を信じていればいい。いつも自分自身が自分を褒めて、足りないところは補う努力を少しでいいから続けてみれば、あとの評価は少しのおまけにはなる。みんな等身大で十分です。

ある大食漢患者さんの話。「よく食べる男の人が好き」と言われて結婚しようとしたら、若くして消化器の病気になり食べられなくなった。男の人は愛されなくなると思い、抑うつになり、自分で追い込まれて別れを切り出した。しかし婚約者は泣きながら「あなたが食べられなくても好き」と言った。2人はいま幸せだそうだ。
体力のある人、髪や肌が綺麗な人、プロポーションがいい人、記憶力のある人、仕事ができる人…。僕たちは必ず衰える。長所が短所になる。人が人を好きになるときは長所が好きなのではなく、短所や弱点を含めてすべてを好きになる。自分で考える短所や弱点だって魅力になる。だから大丈夫、無理して背伸びをしないで。

「心的外傷を乗り越えた後の成長」Post Traumatic Growthという考え方がある。尊敬できる人は苦しみを乗り越えてきたんだ。僕は、思えば苦しいこともあったけど、その度に誰かに救われた。言葉にも手にも笑顔にも、そして一緒に流してくれた涙にも。そしてそれが自分への向き合い方を変えてきた。誰にだって苦しいことはある。他人から見たら大きなこと、小さなことも自分の苦しさってみんな違う。だけど苦しいことから救いたい、救われたい。そうして生きてきた。これからもPTGを信じて生きていく。

無理しなくても弱点を見せても愛される。テストでいい点を取らなくても、運動会で活躍できなくても。いじめられても、先生に怒られても。いい学校に行けなくても、有名な会社に就職しなくても。もし勝負に負けても。僕が僕であれば大丈夫。それが一番の安心。

先日いつも通る少し狭い道をいつものペースで気をつけて運転していたら、勢いよく来た前方の車の運転手が道を譲れとばかりに中指を突き立て、「どけ、下がれ!」と叫んだ。お互い端に寄れば通れる道であった。
こういった運転者に出会うと、以前はよく腹を立て言い返したり、後ろへも下がらなかった。しかし世の中には一定数、人を攻撃してエネルギーを得ている人がいることに気づいたら、何も思わないようになった。自分でエネルギーを出せない人は、他人を攻撃したり、世の中を恨んだり、自分を卑屈にすることでエネルギーを得て何とか生きている。攻撃する人とは身も心も離れないと自分のエネルギーを奪われてもったいない。今まで奪われてきたから、そういう人にはこちらから与えるくらいの感じで。