
やさしい人がいる。話を聞いてくれる。傷ついた気持ちを撫でてくれる。額の汗を黙って拭いてくれる。喜んでいると喜んでくれる。陰の努力を見てくれている。元気がないと元気づけてくれる。やさしいのに見返りを求めていない人。人のやさしさが感じられる人でいたい。


やさしい人がいる。話を聞いてくれる。傷ついた気持ちを撫でてくれる。額の汗を黙って拭いてくれる。喜んでいると喜んでくれる。陰の努力を見てくれている。元気がないと元気づけてくれる。やさしいのに見返りを求めていない人。人のやさしさが感じられる人でいたい。

自分のやっていることが上手く行かず、不機嫌になり、怒鳴ったり、物に当たったりして、周りに罪悪感を与える人がいる。そういう人の機嫌を取ろうとすると、こちらはすり減るだけである。不機嫌な人は放っておくことを勧める。言っておこう。どんなときも不機嫌は100%自分の責任である。他人のせいにして、自分が楽になりたいだけである。自分自身で機嫌を直すべきである。不機嫌になったとしても、自分で機嫌を取れなければ幼児である。それが大人のルールだ。おもちゃが欲しいと怒鳴り散らすのと、あなたが愛してくれないと怒鳴り散らすのと実は大きく変わらないので。

人は完璧ではない。完璧な人はいない。完璧ではないから助け合って生きている。自分一人や家族だけではなくて、周りがいて生きていける。だから感謝もできる。そして完璧ではない自分も誰かの役に立ちたいと願う。外から見て、見た目もよくて、明るくて、仕事もできて、優しい人は確かにいる。しかし本人は何か足りなくて苦しんでいるかもしれない。誰でも何か足りないと感じている人生は苦しくなる。富や地位、強さや力、尊敬や愛を求めながら生きては苦しくなる。完璧ではない自分を受け入れて、愛すること、できることだけする、それが幸せなのだ。

類は友を呼ぶから、明るい人の周りには明るい人が集まり、暗い人の周りには暗い人、努力をする人の周りには努力する人、ランニングをする人の周りにはランニングをする人が集まる。だとすれば自分の周りを見れば、自分が分かる。周りが悪口集団で嫌なら、気付かずに自分が悪口を言っていたりする。だから自分が明るく努力する人になっていけばいい。悪口を言わない人でいればいい。良いところを素直に褒める。そうしたら周りだって変わっていく。明るく努力できる、褒め合える集団は結束が強い一方で、暗い怠惰な悪口集団の結束は崩れていく。

他人に優しくするのは素晴らしいことである。しかし気を遣い、ご機嫌を取り、顔色を伺い続けるといつしか自分がなくなる。例えば職場でそれをやれば、家庭に帰って家族に怒鳴り散らしたり、家庭でそれをやっても職場での弱い立場の部下にイライラをぶつけたりする。僕たちは、自分より他人を思いやり、自分のしたいことを我慢していくことを幼い頃から教わった。しかし社会に出ると、それにより自分をすり減らし、いつしか抑うつ状態になる人を少なからず見てきた。まず誰もが大切にすべき、一番優しくするべきなのは自分であることを忘れてはいけない。自分に優しくできたら、必ず余裕ができて、他人に優しくできる。周りにイライラして辛いときには、まず自分が休む。家庭内でもそうだ。子供に優しくできずに悩んでいる親がいたら、まず自分に優しくするべきだ。自分に優しくできている人の優しさは心地が良いし、優しくできていない人の優しさは受け取る方の心地が悪い。無理を感じてしまう。僕たちの優しさはそうしてできている。