
大小問わず自分の周りでトラブルが起きると人はそれを周りの誰かのせいにしてしまう。僕も昔トラブルメーカーって言われたことがあった。しかし人生にトラブルは付き物。って言うかトラブルって何?予期せぬ問題、思いもせぬ出来事、労苦を生む事件…。こんなところか。トラブルが起きたら誰かのせいにするからそうなる。自分に何か反省することがないか?で解決して取り組む。トラブルって思うこと自体が苦しくなるから、起きたことを勉強って思えばいい。トラブルメーカーって言葉を使う人がトラブルメーカーだと思うようにした。
大小問わず自分の周りでトラブルが起きると人はそれを周りの誰かのせいにしてしまう。僕も昔トラブルメーカーって言われたことがあった。しかし人生にトラブルは付き物。って言うかトラブルって何?予期せぬ問題、思いもせぬ出来事、労苦を生む事件…。こんなところか。トラブルが起きたら誰かのせいにするからそうなる。自分に何か反省することがないか?で解決して取り組む。トラブルって思うこと自体が苦しくなるから、起きたことを勉強って思えばいい。トラブルメーカーって言葉を使う人がトラブルメーカーだと思うようにした。
ずるい人がいる。大した努力もしないのに他人に不当な要求をする人。相手との関係を考えずに家族でも首を傾げる要求をする人などがそうだ。頼まれたからってずるい人の要求は断っていい。お金を貸したり、休日を返上しなくていい。ずるい人は感謝ができないからずるいのだ。利用するだけ利用して、必要無くなったら捨てられる。ずるい人からは離れよう。
僕たちは親から教わったことに「他人からどう見られるかを考えなさい」がある。幼い頃はみんな素直だから親の言うことを聞いて、それを一つの行動規範として生きてきた。しかしあるとき気付いた。人に見せるための自分になってはいないか?って。自分を大きく見せる、綺麗に見せる、格好つける…。それらが僕たちを苦しめるようになってしまっていた。自分にできないことをやろうとしたり、持っていないものを持っているように見せたり…。僕たちの人生は他人に見せるためには無い。「他人から等身大でどう見られるか?」を親が意味したのならそれはいい教えだと思うが。等身大を気づかないくらい少しずつ成長させられたら幸せ。
自分は他人の好意を感謝する。しかし他人からの感謝を求めて自分が行動を起こしたら、それは間違いだと思う。なかには他人に感謝ができない人もいれば、好意に気づけない人もいるから。他人を喜ばせることができた自分に感謝する。また神様にも感謝したい。感謝は求めるものではなく、自分がいつもしているもの。
自分のエネルギーって限られる。いくら仕事が速くなっても、マラソンが走れるようになってもなかなか増えない。だからエネルギーの使い方が大切。もっと言うと使い過ぎないように努めるのが賢明だ。焦る、心配、不安、憎む、拗ねる…。これらは間違いなく僕たちのエネルギーを奪う。また他人から愛されようと努力してもエネルギーを奪われる。つまり疲れる。奪われないためにはこれらの逆を考える。ゆっくりやる、受け入れる、自分に出来ることをする、そして自分から愛する。また苦手な人、ものには距離を置く。限られた自分のエネルギーを大事にするために。