
巨人の星を幼いときテレビで見ていた。小学生時代の塾では、計算ミスをすると赤鉛筆で頭を叩かれた。中学の剣道部では、猛暑でも水を飲んではいけなかった。大学時代のアメフト部ではヘルメットとプロテクターで、ひたすら走った。何かを成し遂げるためには根性と我慢が無くてはならないと信じていた。しかし最近ではそれを信じなくなった。楽しみながら、幸せを感じながら人生を歩んで行った先に、成長や成功が着いてくると思えるようになった。まして大谷選手が大リーグボール養成ギプスをつけていたなんて思わない。


巨人の星を幼いときテレビで見ていた。小学生時代の塾では、計算ミスをすると赤鉛筆で頭を叩かれた。中学の剣道部では、猛暑でも水を飲んではいけなかった。大学時代のアメフト部ではヘルメットとプロテクターで、ひたすら走った。何かを成し遂げるためには根性と我慢が無くてはならないと信じていた。しかし最近ではそれを信じなくなった。楽しみながら、幸せを感じながら人生を歩んで行った先に、成長や成功が着いてくると思えるようになった。まして大谷選手が大リーグボール養成ギプスをつけていたなんて思わない。

人は考える葦であると言われている。しかし考え過ぎると必ずネガティヴに傾く傾向があるのも人である。過ぎ去った過去や起こってもいない未来に悩み、誰かさんからも嫌われているのではないか?と。考えれば考えるだけ不安や心配に支配されて、生きるエネルギーや時間を奪っていく。そこで自分にあるものだけを意識して考えたらいい。自分にあるものに感謝しているだけで、段々と心が満たされることに気がつくはずだ。考え過ぎだよって自分に言ってみる。

長年一緒に暮らした配偶者を、いつしか一心同体と見る節がある。また自分から生まれてきた子を、母親は分身とみなす。更に社会の厳しさを教えようと、父親は子に自分の社会観を押し付ける。そうやって子は親から価値観を植え付けられる。しかしそれに親子共々いずれ苦しむようになる。自分の価値観のように育っていかない我が子。親を悲しませないようにと思いながら、違う価値観に育った子。僕たちは忘れてしまっている。ひとりひとり別人間なのだ。夫婦、親子と価値観を揃えようとするのは愛ではない。価値観を尊重し合うのが愛である。

和訳すると「傷ついた人が人を傷つける」という言葉に出会った。僕の理解ではこうだ。虐待、いじめ、過度な期待、自己否定などが傷の原因。それは自分にとって大切な人つまりは、親、先生、配偶者、上司、友人などから傷つく。さらに傷ついた人はその傷を癒すために近くて弱い、子供、生徒、同級生、部下を言葉や行為で傷つける。それが何とかウイルスのようにどんどん広がっていくのだ。何故か子の虐待が遺伝したり、どうしてもいじめが無くならなかったりする理由だ。だから大切なのはこの連鎖を自分で終わらせること。つまり自分は自分を含めた誰も傷つけないこと。傷つけられた誰かに、実は傷があったことを理解すること。そんな誰かの方が自分より可哀想だと思えること。

嫌なことを忘れたい。面と向かって悪口を言われたり、架空請求に騙されたり、初恋の人に振られたり、親に人間性を否定されたり…。僕たち人間は記憶力があるから故に進化を遂げた。だけど記憶力は落ちてゆくばかり。だから忘れる力は年齢を重ねていけば付く力の一つ。悲しく辛い記憶に苦しむのはいずれやめられる。どんどん忘れていく。そんなこともあったかもしれない、といつかは笑える。