
誰かがいないと生きていけないと言う人は、その誰かに依存している。また自分の思った通り、言った通りに誰かがしてくれないと不機嫌になる人もその誰かに依存している。逆にその人の思った通りにしなくてはいけないと、恐れや焦りを感じてしまう人も、その誰かに依存している。自分の子だって、配偶者だって自分の思った通りにはならない。また親にだって、配偶者にだって言われた通りにする必要はない。依存を愛と勘違いしていることに気がついたときに、人は自立できるのだろう。


誰かがいないと生きていけないと言う人は、その誰かに依存している。また自分の思った通り、言った通りに誰かがしてくれないと不機嫌になる人もその誰かに依存している。逆にその人の思った通りにしなくてはいけないと、恐れや焦りを感じてしまう人も、その誰かに依存している。自分の子だって、配偶者だって自分の思った通りにはならない。また親にだって、配偶者にだって言われた通りにする必要はない。依存を愛と勘違いしていることに気がついたときに、人は自立できるのだろう。

職場や家庭でものごとが上手く行かなかったとき、まずは犯人探しを始めがちである。犯人探しの末「その人のミス」とか、「あの人は適当だから」と誰かのせいにして終わらせてしまってはいけない。しかしそれでは前に進まないどころか、誰かさんだけが自責の念に囚われて終わりだ。まずは事実確認だ。その後に状況整理、問題解決へと気持ちを向かわせる。解決策、再発予防へ進む道まで考えたい。犯人探しは問題の本質ではなく、次の一歩を踏めるかでわれわれの成長が決まる。

傷ついてきた人は、過度に自分の身を守りたがる。友達にいじめられたり、親に過度な期待や管理をされたり、周りに不機嫌な人がいて攻撃されてきたのであろう。そしてその心の習慣、つまり殼はなかなか崩れない。だから自分の身を守っている人に対してわれわれは、愛想もなく、不親切な人だと思ってしまう。しかし世の中は悪意に満ちてはいない。その人にも善意や優しさが眠っているだけだ。不親切だと思ってしまう人にこそ、われわれは親切にしよう。きっといつかは眠っていた心が起きて、殼が破けるのではないか?傷ついた心が癒されるのではないか?そう信じている。

ドラえもんがよく教えてくれていた「それを言っちゃおしまいだよ、のび太くん」。親子だって、夫婦だって、上司だって、誰にだって言ってはいけないことがある。言葉一つで深く傷つけ、人間関係を壊すことを知らずに、感情に任せて暴言を吐く人がいる。言ってはいけないことを、子供にも配偶者にも、誰に対しても言わないのが大人である。言った言葉に責任を持つのが大人である。

映画を見た。口コミでは評価が分かれる作品であった。ストーリーや登場人物の心情などは見る人によって捉え方がみんな違うことを改めて思う。われわれの人生でも、一つの事実をいくらでも解釈できる。その解釈は後からでも変えられる。解釈がいろいろあることもそうだが、世界は誰の目から見ても違う。その世界だって後からでも変えられる。僕はどう生きるかっていつも問いながら生きていきたい。その他にも、何があっても前に進むこと、家族はもちろん他人を思いやること、悪意を持ってしまった自分も受け入れること、命を大切に全うすること、を映画から感じた。