院長ブログ

寂しくて

2022年11月16日

 寂しいという感情は、1人では生きられない人間に与えられた防衛的な反応と考える。そして他人の行動が自分の思いとはすれ違うときに生じる。

 思えば生まれたときから寂しかったかもしれない。保育園に頸が座らない頃に入園し、お迎えはいつも暗くなってからだった。学校から帰ったら家には誰もいないから、首に下げた合鍵で家に入り、おやつは引き出しを開けて食べた。幼い頃から友人は多くてありがたかったが、その分別れも多かった。18歳からの一人暮らしは気楽さよりも寂しさが勝っていた。大学病院を早く辞めてわかくさ病院で働いてからは、普段会えない大学で活躍する同級生たちを寂しさから羨んだ。恋人たちとの別れも寂しさから延び延びになっていた。でも僕だけではない。みんな同じような寂しさを感じて生きてきたんだ。

 僕は寂しさを勘違いしていた。他人のせいにしたり、運命のせいにしたりしていた。人は寂しさを勝手に怒りに変えて誰かを責める。誰も寂しくさせようとなんてしていないのに。そして自分をさげすんだりもする。寂しく感じることはちっとも悪いことじゃない。寂しくて辛いときには自分をそっと抱きしめるだけでいい。誰かを傷つけるための感情ではなく、自分をいたわるための感情だと思おう。誰かと一緒にいなくてもきっと心は繋がっていると信じる。誰かと物理的に繋がるのは胎児だけで卒業しているのだ。自分の寂しい感情をしっかり自分で受け入れることができたとき、きっと寂しさは消えていくものだから。



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