
「あいつ許せない」って言っている人はだいたい眉間に皺を寄せて、肩に力を入れて、歯を食いしばっている。だいたい許せないことは、僕たちの苦しみに繋がっている。また許せないことが多ければ多いほど、視野も思考も狭くなる。しかし、視野や思考を変えてみればだいたいのことが許せたりする。自分、他人、過去、親などすべてのことを少しずつでも許していくことで、僕たちは幸せになっていけると信じている。許せる範囲を少しだけ広げていこう。
「あいつ許せない」って言っている人はだいたい眉間に皺を寄せて、肩に力を入れて、歯を食いしばっている。だいたい許せないことは、僕たちの苦しみに繋がっている。また許せないことが多ければ多いほど、視野も思考も狭くなる。しかし、視野や思考を変えてみればだいたいのことが許せたりする。自分、他人、過去、親などすべてのことを少しずつでも許していくことで、僕たちは幸せになっていけると信じている。許せる範囲を少しだけ広げていこう。
見ているときだけ親切な人がいる。誰かに認めてもらって、愛されたいから親切なことをしている。そして見返りを求めてそれが得られないときには怒りを覚える。またその人は求められていないことを自分がやりたい気持ちを押し付けて相手のことをする。頼んでいないことをやって、いざ頼むと嫌な顔して理由をつけてやらない。本当の親切というのはした方もされた方も幸せな気持ちになれるものである。
身体の成長は分かりやすい。久しぶりに会った親戚の子の背丈は必ず伸びている。それに大人たちは言う「しばらく見ないうちに大きくなったなあ」とか「すっかり女の子らしくなったなあー」と。一方でその子の心が成長しているかは分かりにくい。そもそも心の成長ってなんだろうか?だいたい子供は自分のことを愛している。だから自分を愛することではなさそうだ。しかし子供は自己中でわがままである。心の成長にはまず自分は自分、他人は他人だと分かることだろう。また他人が言うことをきかないことに不機嫌にならないことだろう。つまり自分をコントロールして、相手をコントロールしようとしないことである。成長すれば、他人に褒められなくても自分で自分のことを褒められるようになる。そして他人に見返りを求めなくなる。もちろん暴言暴力もない。成長していけない人というのは自分が好ましくない状況にあるのを、不平不満を言うだけで努力もしないで、他人や環境のせいにしてしまう。まわりの大人を見渡せば、いくつになっても心の成長がない人がけっこういるものだ。今まで心の成長を考えたことはなかった。しかし一生成長できるのは身体ではなくて心なのである。そう信じていれば人生は楽しい。
他人や過去は変えられないけど自分は変えられる、とよく言われるけど自分の何を変えたらいいのか?誰だって、自分が変われないから辛いのだ。自分を変えなくては、と焦る。そして何が悪いのか?と不安になる。そして実は、自分が自分でなくなるのは一番辛い。唯一無二の自分をもう一度確認してみる。いっぱい宝物がある。そしたら自分が自分であればいいはずだ。自分の自分への姿勢や態度だけ少し変えてみる。僕は僕を大切に、僕に愛をあげればいいだけだ。
乳幼児期と学童期の子供にとって親の不機嫌は、最も避けたいことだろう。幼い子は親が面倒を見てくれなくては生きていけないのである。だから何とか親を不機嫌にしないように、良い子を演じるようになるのは本能に近い。しかしそれが続けば誰かの顔色ばかり伺う人に成長する。誰かの不機嫌を嫌うようになる。生きづらさを抱えてしまうかもしれない。親が子供を喜ばそうと張り切るゴールデンウィークが近いが、まずは親が自分のご機嫌をとれなければいけない。子供は親に楽しいところに連れていってもらうことより、不機嫌になられない方が嬉しいことを忘れてはいけない。他人の不機嫌を恐れるように育ててはいけない。